*中途半端に史実ネタです。




 飛び出してきた虎は、全身返り血に濡れそぼっていた。真っ赤な陣羽織が血を吸って赤黒く変色しているのがちょっと見ただけで分かって、慶次は眉を顰める。ここに来るまでに、一体どれだけの人を斬ってきたんだろう。

「幸村ッ!!」
 大声を張り上げる。慶次に気付いた幸村が、目の前の兵を切り倒しながら僅かに目を見開いた。血飛沫が、顔に鮮やかな新しい班を描いた。貴いはずのものが、ほんの一呼吸の間にいくつも奪われていく。これだから、戦ってやつは嫌いだ。

 鮮やかな手並みで群がる兵を片づけて、幸村は慶次に向き直った。周囲は戦が続いている。二人の間にだけ、つかの間の休閑が訪れたようだ。
「なぜ、貴殿がここにいる」
 ぴりぴりと、警戒が肌を刺す。慶次は太刀を下ろし、戦意が無いことを示しつつ歩み寄った。
「あんたを止めに来たんだ」
 血に濡れた矛先は、ひたと慶次に向けられたままだ。慶次は場にそぐわぬ仕草で肩をすくめてみせた。幸村は構わず、固い声で続ける。
「ここは、貴殿のような者が来る場所ではない」
「西軍はもう終わりだ。あんたにもわかってるだろ、もう勝ち目がないことくらい」
 幸村は何も言わない。さすがにもう気合いで乗り越える、などという無茶は言わないようだ。当たり前だ、初めて会った頃の、子どもだった幸村とは違うのだ。だが、表情も変わらなかった。十分な分別が付いているはずなのに、意味があるとは思えない戦を続けようとしている。

「もうやめろよ。こんな無意味な戦い」
 途端に、幸村はきっと視線をきつくした。微動だにせずつきつけられていた矛先が、ほんの僅か、ぶれる。
「意味は、ある。万人にとって無意味であろうとも、この幸村には」
 怒りに我を失うことはなく、しかし声が荒くなる。それは、大切にしている物を馬鹿にされて機嫌を損ねる子供のようだ。いったい幸村は、何にそんなに固執しているのだろう。戦うほどに、失っていくばかりだというのに。幸村の傍らにはもう、ずっと仕えてきた忍びはいない。

「そうやってかたくなに進み続けて、結局あんたは何を得たっていうんだ? あんたの手には何が残っているんだよ」
 血に濡れた二本の槍しか残らないじゃないか。愛する人の温もりも、恋する温かい気持ちも知らないままじゃないか。そんなの寂しすぎる。そんな人生に、何の意味が残るって言うんだ。
 幸村は少しの間慶次をじっと見た。それは答えを考えている、というよりも、質問の意味をはかりかねている様子だった。いつの間にか槍は引かれ、矛先は天を向いている。やがて、真っ直ぐな視線はそのままに口を開いた。

「何も、残らぬ」

 答える声に揺らぎはない。諦観するでもない淡々とした言葉に、愕然とする。
「残らぬ、って……あんたは、それでいいのかよ!? 何かのために、戦ってるんじゃないのかよ!」
 何も得るものはないと、分かっていながら突き進んでいたというのか。何を考えているのか理解できない。幸村は、あくまでしっかりと顔をあげたまま、慶次の動揺を切り捨てる。
「某は、己の信念に従うまで」
「信念! 敗軍について、戦を長引かせるのがかい?」
 幸村は煩そうに目元を顰めた。天を向いた矛先が、苛立たしげに揺れる。
「では、そなたは何のために戦う」
「そりゃあ……守るため、だろ。あんただって、大切な人が笑顔でいられるような、平和な世を作るために戦ってたんじゃないのかよ!」
 しかし、 慶次の必死の言葉にも、幸村は顔色を変えなかった。やはり、理解ができぬ、というようにわずかに小首をかしげ、諦めるようでもなく、これ以上話を続けても無駄だ、というようにきっぱりと話を打ち切る。
「やはり、そなたとは相容れぬ」
 すうっと血の気が引いた。何一つ伝わらないままなのに、幸村は躊躇もなく理解することを諦める。それが何の意味ももたないことであるかのように。
 大切なものを守る、それ以上に大切なことなどあるもんか。幸村とて、武田に仕えていた頃はそんなものがあったはずなのに。
 幸村がわからない。これじゃあまるで――

 どこかで銃声がした、と慶次が思った時には、幸村は身を翻して駆けだしていた。動くこともできずに目で追うと、その先で銃を持った若い兵が赤い槍に斬り伏せられる。
 これ以上の問答は無用、というような、凶暴さを秘めた眼が慶次を見る。一瞬前まで言葉を交わしていた相手に向ける眼差しではない。赤く燃える瞳に魅入られたように、立ちすくんだままその目を見つめ返す。
「邪魔立てするというなら、容赦せぬ」
 斬る、と告げた幸村には、もうどんな言葉も届かない。今の幸村は、炎をまとう凶暴な虎だ。一歩でも動こうものなら、その刹那に引き裂かれる。こんな、体の芯まで麻痺させるような殺気を受けたのは久しぶりだ。
 幸村が踵を返す。振り返りもせず、新たな敵を求めるように戦場を駆けていく。呼び止めることも、走り去る背を追うことができなかった。
 慶次はただ、炎に映える紅の陣羽織を見送っていた。




 戦は程なく収束した。やはり戦局がひっくり返ることはなく、西軍は総崩れになった。西軍についた将の半数はあの混乱の中命を落とし、生き残った者も領地没収などしかるべき処遇をうけ、今や無力だ。
 幸村も――おそらく、誰かに討ち取られたのだろう。

 その後の幸村の行方を、慶次は知らない。
 調べようと思えば容易いことだろう。何もしなくとも噂話は向こうから転がり込んでくる。しかし慶次は、敢えて事実を追おうとはしなかった。
 それは、言うならば期待のようなものなのかもしれなかった。いつかどこかで、忘れた頃にひょっこり顔を合わせて、久しぶり、と笑いあえたらいいという、甘い期待。

 どうして止められなかったのか、と思う。幸村の信念が何であるのか慶次にはわからないが、絶対に間違っていると思う。何も得るものがないのに戦うなど、それこそ戦いそのものを目的とする鬼の所業だ。
 何も残らぬ、と言われた時、相容れぬと言い切られた時の衝撃は消えようがない。なんの感動もなく淡々と言った幸村を見て、こいつには本当に人の血が流れているのか、とさえ思った。

 なのに、なぜあの時炎を纏う幸村を見て、一瞬でも「きれいだ」などと思ってしまったのだろう。
 真っ直ぐに向けられた瞳を、そらすことができなかった。振り返らぬ背を、追いかけることができなかった。

 思えば自分こそ、何かのために迷うことなく戦ったことなどあっただろうか。恋だ愛だと嘯きながら、本気で守りたいと思った相手などいなかった。あの時以来、無意識に避けて通っていた。
 親友を止めることもできず、胸を張って一番大切だといえるものも持たず。
 幸村に説教できる立場ではなかったのだ。

「……なに、してんだろうな……」
 自嘲するように呟いて、2度も友を失った城下に目を向ける。
  戦乱の爪痕が色濃く残る城下では、しかし確実に人々の手による復興が進んでいた。その中にあるはずのない姿を探していることに気づいて、苦く笑った。

 反発しながら、真っ直ぐに進む姿にどうしようもなく惹かれていたのだ。だからだろう。


 あの赤が、目の裏に焼き付いて離れないのは。




 品書 

抜け出せない、囚われたまま。