*微死ネタ注意
まだ丸裸の桜の木の前で、主は本当に唐突に、花見がしたいと言い出した。
このお武家様は、幼い時分に忍が仕えはじめたころから言うことなすこと唐突で、忍もずいぶん振り回され泣かされたものだった。今では並大抵の事には動じない。主は、周囲が唐突な話についてこられないことなど考えもしないかのように話を続ける。
花見には甘味が欠かせぬ。お前、団子を作れ。餅の白みが隠れるくらい、たっぷりとたれをつけるのだ。
ぼたもちは、餡が分厚いのがいい。餅の喰いでも欲しい。だから、大きいのを作れ。お館様の拳よりも大きいのがいい。なに、容易いことだろう?
羊羹は分厚く切れ。お前の切り方は、けちくさい。男ならばもっと豪快に皿をはみ出すくらいに出してみせい。
一時はおなごや童のようだと恥じていたものを、この頃ではねだる口調にもまるで躊躇いがない。逆に、近頃ではこれくらいしかわがままを言う手立てがなくなってしまった。だから、忍は多少渋い顔をして見せながらも、結局は主の望むとおりにして甘やかしてやる。
わかった、わかったよ。アンタでも一口じゃあ食べられないような大きいの作ってあげるからさ。
仕方ないとばかり肩をすくめて答えれば、主は幼子のように顔を輝かせた。必ずだぞ、約束だぞと何度も念を押され、忍は思わず笑ってしまった。
近く、戦がある。さした大戦ではない。小勢力の鎮静を目的にした出陣は、紅蓮の鬼と謳われる主にはいささか退屈かもしれないくらいだ。
先の大戦で片腕を悪くした忍は此度の出陣には従えないが、百戦錬磨の主のこと。何ら憂うことはない。どんなに手こずっても、花の季節には片が付いているだろう。だから、忍は遊山に出るのを見送るような調子で戦場に向かう主を送り出してやった。
必ず用意して待っておれ。楽しみにしておるぞ。
と、一点の曇りない笑顔を見せた主は、約束した季節を過ぎ、葉桜の淡い花弁が風に舞うころに、小さな箱になって帰ってきた。
やけに軽いそれは、取り上げてみれば、ちゃりんと小銭のぶつかる音がした。
幸村はよく店を放り出してふらふらしているが、たまに土産を買ってきた。
主に食べ物である。振り売りが運んでいたり、屋台に並んでいたりすると、大したものでなくてもうまそうに見えるらしい。正直自分で作る方がうまいと思っても、佐助は必ず礼を言って受け取った。それは大抵その晩に買ってきた本人に出されるのだが、幸村は佐助が受け取るだけで満足するらしく、特に何も言わなかった。
土産だけでなく、幸村は何かと佐助に物を与えたがった。一つの布団で寝るわけにもいかぬと布団を買い与えられ、そう冷えていては体に悪いと半纏を貸し与えられ、居候の身だからと断っていたのだが、いつの間にかいくらかの手間賃も貰えている。だが、さすがに店の全権まで与えるのはいかがなものかと思う。
幸村の警戒心のなさは、佐助にはちょっと理解できない域にある。店をまるっきり任せるだけでなく、近頃では帳簿まで佐助につけさせて自分では確認もしない。これが悪意を持った相手だったなら、稼ぎを根こそぎ奪われてとんずらされることもありうるというのに、全く無防備にもほどがある。
と、苦言を呈するくらいだから、今のところ佐助にはその気はないのだが。
根っからの楽天家なのか、それとも佐助だから信用してくれているのかはわからないが、後者だったら嬉しいと思う。
昔と変わらぬ信頼を置いてくれるのならば、これ以上の喜びはない。
ある晩、幸村は佐助を呼びつけて、また唐突に着物を与えた。普通に買えばそれなりに値が張りそうななかなか上等の着物だ。無論手代は必死で遠慮した。しかし主の横暴さは健在で、半ば無理やり押し付けられてしまった。
いつの間に用意していたのか、手の中の衣は、奇しくもかつて佐助が身を包んでいた装束に似た色をしていた。
忍はその箱を開けることができなかった。そのうちひょっこり帰ってくるかもしれないと淡い期待を抱いて、待った。 あの傍若無人の主のことだ、不意に帰ってきて、待たせたな、用意はできておるか、と、さんざん待たせたことを悪びれもせず約束の菓子を催促するに違いない。だから、遅いよ旦那、どれだけ待たせんのよ全くもうと笑いかける準備は出来ているのに。
「ならば、おれに付き合わぬか」
幸村は素知らぬふりをして、また新しい約束を口にする。断る理由はないけれど、素直に頷くこともできずに佐助は曖昧に笑った。花見の約束なら、もうずっとずっと昔にしたじゃない。
さすけと呼ぶ声があまりに耳に馴染むから、本当にあの人といるような気がした。あまりにも変わらぬ顔で笑うから、つい昔と変わらぬ態度で世話を焼きたくなった。けれど、こんなにも姿かたちは似ているのに、旦那の魂は完璧じゃない。戦乱の世で見たよりも柔らかくなったまなざしも、似ているのにあの時の旦那と全く同じとは言えない。
本当は、この人が「あの」旦那ではないと一目見た時既に分かっていた。
なのに、ほだされてしまった。夢に見るほど恋焦がれた姿を目にした瞬間の狂喜が迷わせたのか。
主は何かと忍に物を与えたがった。卑しい忍の身には不相応な立派な品ばかりだったから、忍はいつもあれこれ理由をつけて受け取らなかった。 惜しみなく与えられる情だけですら身に余る栄誉だと心得て、満足できれば良かったものを。
「楽しみだな。な、佐助?」
無邪気で残酷なアンタは、俺が後生大事に抱えていたものを踏みにじってまた、屈託なく笑うのだ。
≪ 品書 ≫
べたべたすぎるけど一度はやりたいネタ。