客商売と言うても、日がな一日店で客が来るのを待っているわけではない。幸村は、佐助を拾う前は日和が良ければよくふらりと出歩いた。
大通りで出店をのぞくこともあれば、のんびりと川岸を散歩することもある。行きつけの飲み屋を覗き、顔見知りに会えばそのまま一杯、なんてこともしながら、まあ気ままに暮らしていた。
そんな生活を送っていたものだから、五日も家から出ないと体が変な感じに鈍ってどうにも気持ちが悪い。それに佐助が来てからというもの、店にいればおなごにかこまれ、居心地の悪いことこの上ない。
特に、数日前に戸板にひっかけてほつれさせた娘の袂をちょいと直してやったのを(娘子の袖に触れるなど、破廉恥な!)きっかけに、おなごの群が幸村にまで押し寄せるようになっていたから、近頃では店の方は専ら佐助に任せ、自分はさっさと逃げ出すことにしていた。
今ではすっかり佐助が店の顔だ。佐助はこれではどちらが主人なのかわからないと嘆くが、当の幸村はへいちゃらな顔をしている。以前からしていたことを続けて何が悪い、というのが旦那様の言い分だ。
「昔はもうちょっと責任感があったはずなのにねぇ」
なんだかんだと言っても店に出す品はきちんと縫い上げるし、仕立ての仕事も期日までに仕上げているから、佐助も強く言えない。だからか、たまにうんざりと言った風にぼやいている。
出会って日も浅いのにおかしなことを言う、と首を傾げても、佐助は笑うばかりであった。
娘の相手はどうにも疲れる。それが嫌で外をぶらついているのだが、近頃は町を歩いていても女人に声をかけられることが多くなった。
「幸さん、今日はお散歩ですか」
「この間の巾着はとても良かったから、今度は同じ柄で櫛入れを作ってくださいな」
行く先々で誰かしらから声がかかる、その回数がなかなかのものだ。それだけ頻繁に声をかけられれば、たとえ皮一枚下は引き攣っていようとも、上辺だけは人好きのする笑みをのせて、
「またお寄りくだされ」
くらいのことはさらりと言えるようになろうもの。面と向かえば娘たちも品よく会釈を返すが、背を向けた途端に背後で黄色い悲鳴が上がる理由が、幸村には未だに分からない。
今日もすっかり顔見知りになった娘の一人に声をかけられ、愛想良く返したところを、運悪くこの間の友人に見られた。久しぶりに顔を見た男が、眼光鋭い隻眼をことさら意地悪気に細めて近づいてきた時点で何か言われるとは思った。が。
「女を誑しこんで店に侍らしてるってぇ噂は本当らしいな」
一瞬何を言われたのか分からず、幸村は目を瞬いた。なにやらとてつもなく破廉恥な物言いをされたような気がする。女を 誑し はべら し て……
「騙りでござるぁあ!!」
「Oh,really? さっきはずいぶん慣れた様子だったが」
「さようなっ、う、浮ついたものではござらんッ!」
皆大切な客で、いや毎日毎日囲まれていれば慣れもする、云々、舌をもつれさせひどくどもりながらの弁解を、男はふんと鼻で笑い飛ばした。
隻眼の男、政宗は商家の倅である。異国の珍しいものを扱う店で、このあたりで知らぬ者はいない。扱う品もさることながら、政宗本人も外つ国に知り合いがいるとかで誰にも分らぬ言葉を操り、隻眼もあいまっていろいろな意味で目立っていた。
幸村と政宗は、よくつるんで遊んだ。片や自分の店を切り盛りする主で、片やまだ若旦那と呼ばれる立場だが、二人の齢にそれほどの差はない。だがやはり色ごとにおいて進んでいるのは政宗の方で、今時気の毒なほど奥手な幸村を事あるごとにからかって喜んでいる節があった。
政宗殿ぉぉ、と情けない声と共に恨みがましい視線を受け、政宗はやっと人の悪い笑みを引っ込めた。
ここしばらく姿を見なかったのは、図に乗って酔いつぶれた先日の一件を傅役の男にこっぴどく叱られて、見張りの目が厳しかったからだそうだ。
その傅役というのがこの泰平の世に珍しく頬に刀傷を持つ強面で、あからさまにできないような所業でもしてきたのかと疑いたくなるような凄みをはらんでいる。そんな男に叱りつけられても懲りもせず抜け出しては遊びまわっている政宗も、相当のつわものではあるが。
「で、実際のところはどうなんだ?」
簡単に近況を教えあった後の唐突な問いに、幸村はひくりと頬を引き攣らせた。
先の政宗の言い様ほど直接的ではないにしろ、似たような噂は本当に出回っているらしいと聞かされたばかりだ。政宗の顔を見れば、そこには再び意地悪気な笑みが浮かんでいる。
「Did you get your sweet? 好いた娘はいるのか?」
「いるものか! 客人に懸想など、不埒な!」
予想通りのことを臆面なく聞いてきた男に、今度こそ噛みつくように返す。うっかり半端な答えを返そうものならそれこそ根掘り葉掘り聞かれるのは目に見えている。
政宗は笑うでもなく心底呆れたような顔をした。下手な揶揄より失礼な反応に我知らずずいぶんと不機嫌な顔をしたらしく、それはすぐに宥めるような顔になったが。
「Don't get angry. そう怒んな。また酒でも奢ってやんよ」
「なれば、あの濁り酒のような洋酒を頂戴したく」
間髪いれずに返す。幸村が言うのは、以前政宗が店の物をこっそり飲ませてくれた異国の美酒だ。北欧産だというその場所は見当もつかぬが、辛党で甘党の幸村の舌に合う甘くて香りのよい酒だった。
正確にひと嘗めいくらするのかは知らない。しかし恐ろしく高級らしいことは後で人伝に聞いて知っている。
思った通り、政宗は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「おまっ、……贅沢言いやがって」
が、すぐに仕方ないとばかり溜息をついて頷くあたり、さすがは大店の若旦那というところだ。
「ま、暇な時にでも来な。っと、今はおなごの相手に忙しいんだったか?」
揶揄を付け足すのも忘れない。しかし、幸村とていつまでもやり込められてばかりではない。
「おなごの相手は、佐助に任せておけばよろしい。あれは、まことよくできた男ゆえ」
今頃も期待通りの働きをしているだろう男の顔を思い浮かべ、余裕ありげににこりと笑ってみせると、政宗は今度こそ意表を突かれたように一つ目を瞬いた。
「じきに桜も咲きまする。花見酒が楽しみでござるな」
幸村と別れ、政宗は一人地団太を踏む。
あまりに予想外の言葉だったものだから、そのうえ暗に花見に例の酒を持って来いと圧力をかけられたのに、不覚にもやり返せなかった。食い物と酒が絡むと無駄に回る頭もどうかと思う。その回転を少しは女を口説くのに使えばいいのだ。
それにしても。
「Huh……」
何者か知らぬが、佐助とやらの名を出した時の幸村の顔を思い出し、政宗は嘆息した。
あの男が、かつてあれほど得意げに何かを語ったことがあったろうか、と。
≪ 品書 ≫
旦那はのんべでザルだといい。
筆頭は友情出演なのでおそらくもう出ません。