画面の中、首のない二つの屍が折り重なって崩れたのを見て、子供は心底落胆したような声を上げた。背もたれにふんぞり返り、足を鍵盤の上にどっかと乗せる。
「期待はずれなの。追い詰めればもっと力を発揮するかと思ったのに」
あ〜あ全滅か、そう言う顔は口惜しげではあるが、あくまで観察がうまくいかなかったのが残念なだけらしい。凄惨な光景にも全く動じないその冷酷さに、戦慄を禁じ得ない。
何なのだ、二人の首を食いちぎったあの化け物は。いったい彼らは何と戦わされていたのだ。
誰もが言葉を失い立ち尽くす中、小十郎だけがさっと踵を返した。はらわたは煮えくり返るようだが、非道の行いを顔色一つ変えずにしてのけるような奴を一発殴ったところで反省なぞするはずもなし、今はそれよりも最後に目覚める主を迎えに上がらなければならない。
自分も目覚めた場所に入ると、一足先に目覚めていた元親が、突然の小十郎の登場に素っ頓狂な声を上げた。
「ぅおっ!? お前、何で……」
「話は向こうで聞きな。真田らもいるぜ」
え、俺も何で? と、状況が掴めずにいる元親をさっさと部屋から追い出し、小十郎は棺の一つにかがみこんだ。微かな音と振動と共に棺の蓋が開く。ぼんやりと開いた主の一つ目が自分を見ているように思われ、小十郎は威儀を正した。
「お加減は」
「……、最悪だな」
少々掠れてはいるものの、しっかりとした返答にひとまず安堵する。最期の時、政宗の精神は危ういところまで追い詰められていたと分かる。狂気へと滑り落ちてしまわなくて、よかった。こんなことを言えば、矜持の高い主のことだ。馬鹿にするなと怒るだろうが。
自ら起き上がろうとした主の背をすかさず支える。政宗は体を起こすと、離れろと言うように小十郎を睨んだ。
「あの世じゃねえな。ここはどこだ」
ここが現実で、危険はないことだけ伝えると、政宗は眉を寄せた。考えるような沈黙が流れる。が、何から聞くべきか迷うほどの疑問はひとまず全て脇に置いておくことにしたようで、再び上げた顔には明らかな怒りが浮かんでいた。
「真っ先にくたばりやがって」
唸るように言いながら、その瞳がほんの僅かに揺らいでいるのを、敏い従者は見逃さなかった。
「申し訳ございません」
「この役立たず」
「申し訳ございません」
「畑取り上げっぞ」
「それはご勘弁を」
口を開けば悪口雑言が次々に飛び出す。まっとうなお叱りに交じって告げられる受けられない罰には抜け目なく返事を返し、あとはひたすら謝罪を繰り返す。
主は、今顔を見られるのを嫌うだろう。それが分かっているから、小十郎は敢えて目を伏せて政宗の胸のあたりを見るふりをする。また罵声が飛んでくる。
「馬鹿野郎」
「申し訳……」
謝罪を繰り返そうとした小十郎の襟が乱暴に掴み寄せられた。肩口に強烈な頭突きを食らい、呻く。政宗は謝りもせず、顔を埋めた肩口にぐいぐいと額を押し付ける。
「ばかやろう……」
絞り出した語尾が震えているのに気付いたが、小十郎は何も言わなかった。右目としてともにいることができなかった己のふがいなさを悔いるように眉間に深いしわを刻み、矜持の高い主の嗚咽を胸に閉じ込めるように、震える背に腕をまわした。
右目に追い出されて、訳も分からず機材に囲まれた溜まり場にやってきた元親を迎えたのは、なんとも微妙な雰囲気の三人だった。
真っ先に元親に気付いてひらりと手を振った慶次の頬は赤く腫れあがっている。それは、幸村が再会した慶次のあまりの能天気に腹を立てて一発見舞ったためで、その幸村は同じく再会を果たした従者の衣の裾を仏頂面で握りしめながら、元親にちらと視線を投げた。
「御無事で」
「お、おう……?」
歯切れ悪く頷いた元親の顔には、はっきりと戸惑いが浮かんでいる。だが幸村はそれ以上何も言わず、主を袖にくっつけた佐助も軽く肩をすくめるだけだった。慶次に目を向けても似たような反応だ。誰もまともな返事を返せそうにないのは分かったが、どうにも抑えきれず疑問が口に上った。
「死んだと思ったが、いったいここは何だ?」
「それは、全員そろってから説明するの」
期待しなかった方向から返事が返ってきた。どこかで聞いた覚えのある声としゃべり方だ。そちらに目を向けると奇妙な子供と目が合った。口元だけに笑みをのせてこちらを見る色の薄い瞳は、黒々とした瞳孔ばかりが目立つ。
「あぁ? なんだ、お前」
「それも、まとめて説明するの。ちょっと大人しくしてろ、なの」
凄む元親に怯えることもなく、子どもはいかにも鬱陶しいといった風情であしらった。元親はあまりな言い様に気色ばんだが、加勢する者はいなかった。さんざん同じようなやりとりが繰り返されたのだろう。この分では何を聞いても無駄だと悟り、言いようのない不快感を腹の中に押さえこんだ。
自分は確かにあの場で死んだ。他の面々も同じはずだ。
なのになぜ何事もなかったように生きているのか。ここは何なのか。咄嗟に庇ってしまったが、独眼竜はどうなったろう。分からないことが多すぎて、誰に何を聞けばよいのか判断がつかず、仕方なく元親は黙って辺りを見回した。さっきから自分の愛槍が見当たらない。そういえば、誰も武具を帯びていないようだ。
こちらに背を向け、何やら機材をいじっている子供は明らかに異様だ。こんな閉じられた殺風景な場所にたった一人でいられるなど、並の人ではありえない。
髪の隙間から垣間見える細いうなじに抉れたような痛々しい傷があるのが目に入った。その傷の中で何かが冷たく光った気がして、元親は眉根を寄せた。だがそれが何か確かめようとする前に子どもがおもむろに振り返り、機会を失った。
「そろったようね」
見れば、政宗が従者に付き添われてやってきたところだった。体裁を繕っていても、目の縁が赤い。政宗と幸村の視線がかちあったが、お互い似たような状態なのを分かってか、何も言わなかった。
6人の大人と1人の子どもが薄暗い室内に集まった。
胡乱な視線に交じっている殺気にまるで気付かぬかのように、子どもはぐるりと一同を見回した。殺気立っているのは二人の従者だ。それを顕わにしているのは武士の方で、忍は視界に入れるのも汚らわしいとばかり、主に寄り添うてあらぬ方を向いていた。
「さっさと帰してもらおうか」
「まあまあ、そう慌てないの。異世界に干渉したら、そこの住人に何をしたか説明しなきゃならない決まりなの」
てめえらの決まりなぞ知ったことか! 息巻く従者を政宗は押さえた。子どもは怖じる様子もなく、唇を笑みの形に引き上げると芝居がかった仕草で両腕を広げた。
「ようこそ、現実へ」
子どもの話は、理解させる気もないのではないかと疑わしくなるほど理解し難いものだった。聞いたことのない言葉が次々に飛び出し、質問にもまともな答えが返ってこない。そんな中何とか分かったのは、ここが現実であること、事が済めば元の場所に帰れるということだった。
何よりも信じがたいのは、眠りにつく前に彼らは一度「死んだ」という話だ。
「死んだ人間を生き返らせるなど、できるわけがない」
現にキミたちが生きてるのが証拠なの、と言う子どもの表情は人を食ったような裏の読みにくいもので、それ以上の追及はできなかった。
だがどちらにせよ、彼らの想像力には及びもつかない技術を持っているのはどうやら本当らしかった。あの現実的すぎる「夢」といい、四方を取り巻く機材の壁といい、ひょっとしたらと思わせるものがあるのも確かだ。
「キミたちが消滅した瞬間に帰してあげるから、元の世界とのタイムラグはないの。心配いらないの」
最後の一言もやはり一同には意味がよく分からなかったが、説明はそれで終わった。
大分緒が短くなっているらしい小十郎が、再び脅しつけるように凄んだ。主が人質に取られている間何もできなかった鬱憤が溜まりに溜まっているのだ。だが子どもはやはり食えない顔で笑うだけだった。
「まあ、まあ。そう急かないの。面白味はなかったけど、欲しいデータはとらせてもらったし。お礼に、キミたちの体、直してほしいところは直してあげるの」
「なおす……?」
軽い口調で言われた言葉に、元親が首をかしげた。子どもは頷く。
「どこに不都合があるか分からないから、一応残っていた直前のデータからそっくり元のままに復元はしたんだけど。――たとえば、ダテマサムネ」
妙な片言で呼ばれ、政宗は不愉快そうにぴくりと片眉を上げた。
「あぁ?」
「その右目、入れることもできるの。そのせいで母親に捨てられたんでしょう」
政宗は考えもしなかった言葉に隻眼を見開いた。無邪気に首を傾ける子供に、苦い顔で黙り込む。眼帯に手が伸びているのは無意識だろう。
過去の傷を抉ったことに気付かず、気付いていたとしても無頓着に、子どもは今度はその横で殺気立つ従者に目を向ける。
「たとえば、カタクラコジュウロウ。頬のその醜い傷跡、きれいに消すことだって簡単なの」
「醜いと思ったことなんざ1度もねえ。その汚ぇ口を閉じろ、クソガキが!」
ついに上がった怒号にも怯えもせず、子供は一同を見回した。
「他の人は、どうなの。傷を消すだけじゃない、筋肉や皮膚をもっと強度のあるものに変えれば刀だって素手で折れるようになるの。翼を植えて飛行能力を得ることだって、痛覚を抜いて死への恐怖を取り除くことだってできるの。――ねえ、サナダユキムラ」
「旦那、聞いちゃだめだよ」
主を背に庇う忍を完全に無視し、子どもは真っ直ぐに紅い武士だけを見た。その視線に誘われるように、幸村も目を上げる。
「強くなりたいんでしょう。今なら、望めば手に入るのよ?」
幸村を見る薄氷の瞳には、感情の揺らぎが一切見えない。人が苦しむのを楽しむ風でもない、ただ残酷なまでに無邪気なだけだ。眼に力を入れてその瞳を睨み返した。
「過ぎた力は身を滅ぼすのみ。鍛錬にて得た力こそ、真の実力と心得る」
子どもはつまらなそうに唇を尖らせた。なぜ拒まれるのか本当に分からないというようすだ。理解する気もないらしい。続いて口を開いた元親に向けた目は、やはり透き通って冷たいものだった。
「この体は俺たちの生きてきた証みてぇなもんだ。そう簡単に消したり作りかえたりできるもんじゃねえんだよ」
「できるの。簡単なの。チョウソカベモトチカ。キミが荒くれ者を装わなくていいように、過去を変えてあげることだってできるの」
「なっ……!」
言葉を詰まらせた元親の頬に、怒りのためか朱が上る。ふざけんな! 激昂する鬼を冷静に観察して、ことりと首を傾げた。その仕草だけは年齢に見合ってあどけない。
「何を怒るの。せっかくあげるって言うのに、変な人たち。まあいいの。キミたちの人生には興味がないの。それに、そろそろ時間切れなの」
何が、と問う間もなく、室内に闇が噴き出した。
あっという間に足元を覆い隠した闇の出所は、なんと自分自身だ。激昂したままの勢いでなんじゃこりゃあ! と喚く元親の銀髪も闇に食われかけている。佐助が刹那呆然とした幸村をすかさず抱きしめて、暴走しようとする感情に先手を打つ。うろたえる一行の間に、子供の冷静な声がとおった。
「時空の修正。異次元から連れてきた存在を、この次元が排除しようとしているの。大丈夫、キミたちは元いた世界に戻るだけ」
「本当だろうな!? くそっ、悪夢の続きみてぇだ……っ!!」
闇に捲かれてもがくのを眺めて、子供はふむと頷いた。
「――そうね、夢だと思っておいてくれてもいいの。次に目が覚めた時には全部、元通り。忘れても問題ない。ううん、きっと忘れるの」
「アンタはそれでいいのかい?」
落ち着き払った声の主は、今まで沈黙を守ってきた慶次だ。子どもは寸の間、言葉の意味を考えるように沈黙した。
だが答えを待たず動いた者がいた。
「そいつに、余計な情けは無用だ!」
小十郎だ。主の傷を掘り返された上に再び命の危機を感じるような状況に陥れられ、とうとう緒が切れた。鬼の形相で迫る龍の右眼から、子どもは逃げも隠れもしなかった。
拳が骨を打つ鈍い音。同時に空の木箱でも叩き潰したような音がする。首が有り得ない方向に曲がり、ねじ切れた。しかし血しぶきはあがらない。光る破片が飛び散ったのを見て、元親はさっき見た物を合点した。ずっと人の子だと思っていたそれは、機械仕掛けの人形だったのだ。
右眼の怒りは鎮まらない。崩折れた体を蹴りつけようとしたが、足はすでに闇の中に消えていた。子どもの姿をしたそれは、破壊されも表情を変えなかった。床に転がった首が、何事もなかったかのように先の問いに答える。
「ボクは自分のしたいことをしているだけ。誰に認められたいわけでもない。ボクの意義はボクだけが知っていればいいの」
硝子の瞳に見つめられて、慶次もその目を見下ろした。無力に床に横たわる人形が淡々と紡ぐ言葉は、気味悪さよりも哀れをさそった。果てのない知への欲望を追い求め、時空を渡る孤独な人形。
「あんた、寂しいな」
「サミシイ?」
思わず口をついた同情の言葉をオウム返しに繰り返した唇が、不意ににやりと笑みの形につり上がる。
笑顔と呼ぶには邪悪すぎるそれに、思わず背筋が冷たくなった。
「寂しいのは、――キミたちの方、でしょう?」
まるで、悪魔に心の底まで見透かされているような。情けや思いやりを嘲うかのような酷薄さ。
反論を考える間もなく、闇が全てを覆い尽くし。薄暗い部屋に闇が満ち、人形の姿も隠した。
後には何も残らない。
≪ 品書 ≫
とにかく筆頭で萌えてみようと試しにやってみたら思いのほか自爆萌えしてしまった件。
男前ってなんでしたっけ。