*流血警報、 非死ネタ注意報
「だんっ……!」
銃声が轟いた瞬間、佐助の口から悲鳴のような声が上がった。画面の中で幸村がのけぞる。槍が手からはじけ飛び、甲高い音を立てて転がる。地に大の字に倒れた額から血が噴き出し、見る間に床に赤い水たまりを作る。
佐助は悲鳴を飲み込むように手で口を覆った。目を見開いて食い入るように画面を見つめる顔からは、血の気が引いている。断末魔のような短い痙攣が治まると、虚ろに開いた目じりを雫が伝った。
「なぁんだ。熱には強くても、体は一般的なヒトと同じなの。あっけない」
子供はもはや興味を失ったように背もたれに沈みこんだ。無言で踵を返し足早に出ていく佐助を見送り、慶次は部屋に目を戻した。
人の痛みを気にもかけない子供。自分もこんな眼で観察されていたのかと思うとぞっとする。右眼も忍びも、よく耐えたものだと思う。目の前で主が――大事な人が、虐げられあんな眼にさらされるのを見ているしかないなど、辛すぎる。
画面の中で動きが無いのが退屈なのか、子供は浮いている足をぶらつかせながら思い出したように慶次に声をかけてきた。
「あの体でアンデッドを全滅させたのはなかなかなの。褒めてあげる」
「そりゃどうも」
応える口調は軽いが、慶次の表情は厳しい。褒められたところで嬉しくもない。全く本心とは思えない口先だけの称賛は逆に馬鹿にされているようにも感じる。
墓地で三人を逃がした後、襲いかかってくる化け物どもを片っ端から薙ぎ払い続けた。己に退路はない。だがただで殺されてやる気は毛頭ない。
腕や腿に噛みつかれた。腐りかけた臓腑をかぶった。それでも体が動く限り長刀を振るい続けた。
その挙句に与えられたのが、先の安っぽい言葉だ。
慶次はこちらを見ない子供の横顔をじっと見つめた。画面の放つ青白い光を受けて冷たく光る色の薄い瞳は、まるで硝子玉のようだ。人の命をもてあそぶような真似をして、この子供は何を得たというのだ。
「こんなことして、楽しいかい」
慶次の問いかけに、子供はちらりと視線をよこした。口角だけを吊り上げて笑みのような形を作りながら、子供は軽く答える。
「たのしい? 有意義ということをそう言うのなら、そうかもね」
こんなことの何が有意義なのか、慶次には理解できない。目の前の子供にも、慶次の言葉の裏の意味は伝わっていないのだろう。人と同じように言葉を話し、動くが、痛みを感じる心を持っていないのだ。決して相見えない。戦慄を隠すように口元に笑みを張りつける。
「アンタ、人じゃないね」
「その通り。でも、そんなことには何の意義もないの」
何でもないことのように答えて、子供は観察に戻る。小さな背中が、なぜかどうしようもなく悲しかった。
夢の中で命を落としても、この世界には何の影響もない。分かっている。佐助とて、あそこで喉笛を噛み千切られて死んだ。だが幸村が倒れた姿を目の当たりにして、そんなことは吹っ飛んでしまった。
扉が壁の中に消えるのを待つのももどかしく、隙間に体をねじ込む。室内に無数に置いてある硝子の棺のうちの一つが、微かな音とともに開く。佐助はその棺に駆け寄った。
幸村は、ぼんやりと宙を眺めていた。
死人の目だ。
強い輝きを失った瞳の主は普段からは想像もつかぬほど儚く見える。ふ、と、細く息を吐いて幸村は目を閉じてしまう。佐助は思わず主の頬に触れた。あの映像のように、手の届かない場所に行ってしまいそうな気がした。けれど、触れた頬は温かかった。
旦那、囁きに似た佐助の呼びかけに、幸村はゆるゆると目を開く。まだぼんやりしているような目の前で、佐助はいつもの笑みを浮かべてみせた。
「おはよ、旦那」
宙を彷徨っていた瞳が揺れる。瞬いて開いた両目が、今度こそはっきりと佐助を映す。
「さ、すけ」
「うん」
かすれた囁きに頷く。幸村は状況を把握できていないようで、不思議そうに佐助の顔を眺めて問うでもなく呟く。
「お前がおるということは、ここはあの世か」
開口一番そんなことを言う主の前髪を梳いてやりながら、説明のし難さに一寸口ごもった。佐助にもこれが現実だという実感があまりない。
幸村は答えを待たず、おもむろに腕を上げて髪に触れている佐助の手を掴んだ。ぎゅう、と握りしめてくる手が熱い。佐助が確かにそこにいることを確認するように掴んだ手を自分の頬に押し当て、濡れた目で佐助を見上げて、笑った。
「案内人がお前なら、悪くない」
あまりにか細い囁き。
胸が締め付けられるような感覚に、掴まれた手を握り返す。ごめん、呟きは声にならなかった。一人にしてごめん。アンタを苛む闇は、俺が全部引き受けると言ったのに。
ほろりと零れた涙が佐助の手を濡らした。未だ力の入っていない体を抱き起こして、二度と離すまいというように掻き抱いた。
銃声が轟いた瞬間、政宗は咄嗟にその場から飛び退いた。
あれほど小型のものは見たことがないが、確かにあれは短筒だった。男の直線状にいれば銃の餌食だ。太い柱に身を隠す。幸村の安否は確認できない。顔を覗かせた瞬間に脳髄をぶちまけるなんてことになったら洒落にならない。だがあの至近距離で撃たれれば無事では済むまい。
先ほどの制御のきかぬ感情は治まっていた。幸村に先を越されて爆発させる機会を逃してしまったようだ。
男の背後には長い階段があり、その先は光に満ちている。おそらくは、あれが出口。しかし戦わずにやり過ごせるような相手でないことは分かっていた。背を向けたとたん狙い撃ちにされる。
身を隠しているこちらから男の姿は見えないが、わざとなのか、男は自分の位置を知らせるように喉を鳴らしている。笑っているのだ。
「女みたいにくねくねしやがって……!」
政宗と同じように反対の柱の陰に張り付きながら、元親が吐き捨てるように悪態をついた。政宗は己の得物に手をのばし、音もなく鞘を払った。一歩一歩、靴を鳴らして男が近づいてくる。
高まる緊張。
「ぅるぁぁああ!!」
元親が雄叫びをあげ、柱の陰から碇槍を大きく振り薙いだ。男が咄嗟に向けた銃口は鋭く飛んだ鎖に逸らされ、見当違いの壁を砕く。その隙に素早く距離を詰める。間合いに入ってしまえばこちらに部があるはず。一気に男の目の前まで近づいた元親は、半ば勝利を確信した。
「――なっ!?」
小さな金属で碇槍の一撃を受け止められ、言葉を失う。男が至近距離で歯をむき出して笑う。まるで獲物を目の前にした凶暴な獣だ。信じられぬ力で弾かれ、巨大な碇槍が押し返された。こめかみの冷たい銃口の感触に、元親の顔から血の気が引く。引き金が引かれるすんでのところで政宗が踏みこみ、銃を持つ手首を狙い斬り上げる。
ガキンッ!
固い手ごたえ。男がはめた銀色の腕輪のようなものに受け止められ、政宗の刀もまた弾かれた。男の方も無傷とはいかず袖が裂け血が噴き出したが、まるで痛みを感じていないかのように表情を変えず、その手で引き金を引く。銃声が政宗の背後の柱を抉る。それに気が逸れた一瞬の隙に胸に強烈な蹴りを食らい、体ごと吹き飛ばされた。全力で駆け付けた元親に引きずられるように、間一髪、柱の陰に滑り込む。隠れた柱を数発の銃弾が砕く。
ほんの十数秒の交戦で、既に息が切れている。小道具に頼るだけの軟弱な男かと思いきや、元親の重い槍を難無く受け、政宗の鋭い一撃をいなした。あの貧弱な体のいったいどこに、あんな力が秘められているというのだ。
「もーう終わりぃ? つまぁんないなぁ。ここまで来る奴、どんな強者か期待、してたのになーぁ」
聞いていて不快になる口調で言い、男は退屈そうに足をぶらつかせる。政宗が負わせた傷からは絶え間なく鮮血が迸り、白い床に歪な斑を描く。男はそんな事にはまるで無頓着に、血を振りまきながら反り返って嗤う。その姿は、人の形をした化け物だ。
「――It's crazy」
狂ってやがる、政宗はまだ痛みの残る胸を押さえながら嫌悪も顕わに吐き捨てた。
二人がかりでさっきのような状況では、接近戦でも部があるとは言い難い。だが、まずは短筒を何とかしないことには、手も足も出ずになぶり殺されるだけだ。やられるわけにはいかない。こんなところで、死んでたまるか。
知らず、刀を握りしめていたらしい。元親の手が小手に触れ、初めて己の緊張を自覚した。やわらかい触れ方があせるなと言っているようで、政宗はそれをはねのけた。言われずとも、分かっている。政宗は冷静だ。
連射はきくようだが、容れ物があの大きさなら、どんなに詰め込んでも5、6発が限度のはず。まさか無尽蔵ということは有り得ない。二人を相手にかなり発砲していたから、もう中身は空に近いはずだ。撃ちつくしてしまえば、鉄砲などただの玩具に過ぎない。
無言でそこまで考えて、政宗は唐突に柱の陰から飛び出した。慌てたような声はきれいに無視する。
男は素早い反応で銃口をこちらに向けたが、思った通り、威嚇の二発で弾切れらしくそれ以上撃ってこない。男がどんな化け物じみた力を持っていようと、相手の間合いに入らなければよいだけのこと。得物の分こちらの間合いの方が広いのだ。
三爪を抜き放ち、跳躍。無防備な男の頭上に龍の一撃を振り下ろす!
こちらを見上げた男の、
口元がつり上がった。
「ぐ、あっ……!」
銃声。
右腿に灼熱の痛みがはしり体勢を崩す。
まともに着地できず、全身を強か打って目が眩む。傷の下でみるみる血だまりが広がっていく。腿当を貫通した弾は、脚の肉ごと持っていったらしい。気を抜けば意識が遠のきそうな激痛の中、固いものが床に落ちる音が聞こえた。
男の手には先ほどとは違う銃がある。飛び出そうとした元親の耳元で柱の破片が飛び散り、慌てて引っ込んだ。
「もういいよ。お前ら、屑ばっか。飽きちゃったあ」
火薬のにおいがする。首筋に銃口が向けられているのを感じ、政宗は起き上がろうともがく。片足が使えぬだけで驚くほど体の自由がきかない。引き金にかけられた指に僅かに力をこもる。
「死ーね」
銃声が轟いた。それは政宗ではなく、再び飛び出そうとした元親を撃ち抜いた。しかし、ばさりと床に広がったのは、穴の開いた上着だけ。柱の反対側から伸びた銀の鎖に縛りあげられ、男の顔に初めて驚きのような表情がよぎる。
「立てっ! 独眼竜!!」
鎖を引絞り、元親が叫ぶ。炎が鎖を伝い、縛りつけた男の衣が燃え上がる。
「言われ、なくても……!」
政宗は力を振り絞って、握りしめた刀を床につきたてた。精一杯の強がりで朦朧とする意識を叱咤する。男は奇声をあげ拘束を引き千切らんと鎖をかきむしり暴れる。踏ん張る元親の足が引きずられる。憎々しげに銀髪を睨めつけるその形相はもはや、鬼そのものだ。
今だ。
これを逃せばこいつを仕留める好機はない。
傷は絶えず血を滴らせ、力任せに固い床につきたてた刃先は欠けているが、それら全ての悪条件は敢えて無視する。
一本の刀を腰溜めに構え、ありったけの力を握りしめた刃に集める。政宗の力を溜めこんで、白刃が青白い輝きを帯びる。
「Go, to, hell!」
一言一句、力いっぱい憎悪を込め、叩きつけるように叫び。
「HELL DRAGON!!」
放たれた青い光は、龍の如く元親の鎖ごと飲み込んだ。
到底人のものとは思えぬ、呪詛のような断末魔が長く尾を引き。それもふつりと途絶え、後には焼き切れた鎖の残骸と、物言わぬ屍が残った。
渾身の一撃を放った直後、膝から力が抜ける。どうにか刀に縋って無様に倒れることは避ける。元親は無残にも先が黒く焦げた鎖をぶら下げて、政宗に手を差し出した。
「大丈夫か?」
甘く見るなと振り払おうかとも思ったが、今更意地を張る意味もないと思いなおして素直に差し出された手を掴んで引き起こしてもらう。右足はもう体重を支えてくれそうもなく、元親が掴んだ手をそのまま肩に回したのを歯噛みしながら認めた。
元親の肩を借り、光へ続く階段をゆっくりと登る。
勝ったという実感もなければ、晴れ晴れとした心地になることもなかった。最後まで傍らにいるものだと思っていた臣下はいない。幾度となく刃を交えてきた好敵手も、笑ってしまうほど呆気なく逝った。
いつの間にか情でも移ったのだろうか。始めの半分にも満たない人数が、どこか物足りなく感じる。
「怖ぇ場所だった。だが、俺たちは勝ったんだ。出ようぜ、こんな悪夢とはとっととおさらばして」
どこか痛みを含んだ笑みを浮かべて振り返った元親の顔が、にわかに強張った。
「政宗っ、危ねえ!!」
突然腕を引かれ、政宗は元親を下敷きにして倒れこんだ。厚い胸に受け止められても、傷に走る激痛に息が詰まる。
さすがに文句を言おうと見上げた先に、元親の顔はなかった。
首から上が、ない。
「……、あ……?」
ぎざぎざの切り口がこちらを向いていた。赤黒い肉が濡れててかっている。白い物が見えているのは頸椎だろうか。顔に噴きかかる生ぬるい液体はきっと、白い階段にじわじわ広がる赤と同じ色をしている。
呆然と視線を上げると、たった今息の根を止めたはずの男の顔が浮いていた。いや、浮いているわけではない。首はちゃんと胴体につながっている。十間ほども離れたところに転がっているはずの、体に。
なんと、異様な。
全身は視界に収まらなかった。至近距離の顔が視界をふさいでいたからだ。薄笑いのようなものを浮かべる顔も反吐が出そうだが、それでもそれの全貌を見るよりはマシだと思った。見てはいけない気がした。
政宗を観察するように漂っていた顔は、突然ぴたりと動きを止めた。
にぃやりと、釣り上った口元には異常に鋭い歯が隙間なく並んでいる。なるほど、これならがつりと肉を食いちぎることなど造作もないだろう。
戦うことも、逃げることさえ思いつかなかった。ただ、目の前で化け物の口が異様に裂けていくのを、むき出した牙が妙にゆっくりと目の前に迫るのを、呆然と見ていた。
最期は、闇に閉ざされた視界で、首の周りに何かが突き立つのだけ。
Game over.
≪ 品書 ≫
なんだかんだで佐助って可愛いと思う件。
右眼のだんなが大概空気になっていることに今更気付きました。人物が掴みきれていないようです。
後半の血なまぐささは私にも予想外でした。ここまで暗くなる予定はなかったのですが……あれれ?
……まだ続きます。