*非死ネタ注意報
轟音と共に入口が崩れ落ちる。降り注ぐ礫、迫る崩壊、誰のものか判らぬ怒声。何もかもが地鳴にかき消され、三人はただ必死で走る。
土煙りに取り巻かれながら光に向かってひた走り、飛び出した場所は妙な広場のようだった。白ばかりが目につくそこで、三人はやっと足を止めた。
つるつるとした石材が敷き詰められた床、空間の広がりが曖昧な壁は、異様なまでに白い。緻密な彫刻の施された柱がそこここに立っているが、それにも色がない。今までとは明らかに異質な空間に、荒い息遣いだけが響く。
元親は喘ぎながら、年若い二人の無事を確かめた。政宗は一つ目を砂埃にやられたか、しきりに左目を瞬かせている。二槍にもたれて片息をついていた幸村が嗚咽のような声を漏らし、ずざり、膝をついた。二槍を握る腕が激しく震えている。チッ、政宗の舌打ち。
「真田幸村。また俺の拳が必要か?」
「……っ、お頼み申す!」
間髪いれず、政宗の拳が幸村の頬に飛んだ。幸村は殴られた頬を庇いもせず、じっと歯を食いしばっている。しかし、堪えきれなかった涙が頬を転がった。政宗は苛立ちも顕わに幸村の襟ぐりを掴み、がなりたてる。
「まだいるか! 泣いてる暇ぁねえんだよ!」
「分かって、おる」
呟くように返しながら、涙は止まる気配もない。語尾が頼りなく揺れる。細い針の先に辛うじて平衡を保っているような、不安定な感情が垣間見える。政宗は無抵抗のように見える幸村を激しく揺さぶり、更に言いつのる。
「泣いてもどうにもならねえだろうが! 進むしかねえんだよ! 立ち止まんなよ!」
「分かっておるわ!」
突然幸村が苛立ちが爆発したように金切り声をあげ、襟をつかむ政宗の手を乱暴に払いのけた。それに政宗もカッと頭に血が上る。政宗が咄嗟に振り上げた拳を、元親は素早く掴んだ。
「待てって。お前なぁ、泣いてる子供を、殴って泣きやませる奴ぁいないだろう」
あの忍を失ってから幸村が不安定なのは誰の目にも明らかだが、政宗も相当に気が立っている。政宗は怒りにぎらつく目で元親を睨んだ。元親は気にも留めずに肩をすくめてみせた。
「ちょいと一息いれようぜ。ほら、座れよ」
言うなり、元親は二人をひきずるようにして足下の低い階段にどっかと腰をおろした。二人を無理やり左右に座らせると、政宗は元親にも殴りかかりそうな気配を見せたが、それが無理だとわかると元親の手を振り払い、憮然としておとなしくなった。
幸村の押し殺した嗚咽だけがしばしその場に響く。そっぽを向いていても、政宗が全身で幸村を窺っているのが元親には分った。
焦っている。幸村の背をあやすように撫ぜてやりながら、落ち着きのない政宗を盗み見て思う。
短い時間ではあったが、政宗が小十郎に並々ならぬ信頼を置いていたのはよくわかった。その忠臣を失っても、政宗は涙一つ見せない。
止まるまいと躍起になって、無理をしているようにも見える。臣下の命を犠牲にした上は、是が非でも生き残らねばならぬという気負いゆえか。
元親は幸村が落ち着いてきた頃合いを見計らって、気安く政宗の肩を叩いた。
「そう固くなんなよ」
政宗は鬱陶しげに元親の手を払いのけ、聞く耳持たぬといった風で元親を見ようともしない。元親は構わず続ける。
「そんなんじゃあ、せっかく体張って生かしてくれた奴らも喜ばねえぞ」
その言葉に、政宗は勢いよく振り返った。
「いない奴は関係ねえ! 俺は俺のために決めた。絶対に振り返らねえ、立ち止まらねえ!」
激しく言いつのる口調はどこか必死に聞こえる。元親が宥めるように伸ばした手は、肩に触れる前に振り払われる。まるで手負いの獣が必死で牙をむいているようだ。
「それを悪いとは言わねえさ。けど、辛ぇだろ?」
「Damn you! Shut up!」
悲鳴のような異国語で何か罵った。唇を噛み、元親からそらされた隻眼が白い虚無を睨んで揺れる。前だけを見据えているようでいて、実際は誰よりも過去に捕らわれているのかもしれない。
元親とて、道を共に歩む者が減っていくのが辛くないわけはない。政宗とその右目、幸村と忍びほどの強い結びつきを持つ者はいなくとも、皆大切な仲間だと思っている。
不敵な笑みを見せて墓場に残った慶次。彼ほどの使い手ならばあの程度の相手はおそるるに足らぬはずなのに、あの局面で敢えてあの場に残るという選択をしたのはなぜか。元親には分かってしまった。
元親を庇って負った噛み傷。おそらくあの蛇は毒を持っていたのだろう。
慶次が始めからそうと分かって身代わりになったのかは、今となっては分からぬ。だが、じわじわと毒に侵されて自由の利かなくなる体を自覚しながら、落ち込みがちな政宗と幸村を元気づけようとわざとはしゃいでみせていたのなら、大した男だ、と思う。
散った奴の分まで生きる、などという大層なことはできない。所詮は人間、自分一人の人生を背負うので精一杯だ。変に気負って頑張っては重圧に押しつぶされてしまう。
元親は深く息を吐いた。だらしなく丸めていた背を伸ばし、険悪な雰囲気を吹き飛ばすように両腕を広げて、そのまま両手を左右の若人の頭の上にぽんと乗せた。
振り払われないのをいいことに左右の頭をわしわしと撫で、両腕で二人をぐいと引きよせる。幸村は突然のことに泣きはらした目を丸くし、政宗は意表を突かれたことが気に入らぬのか不機嫌に元親を睨んだ。
「俺達ゃ仲間だ。挫けそうになったら背を押してやるし、立ち止まりそうになったら手を引いてやる」
にっと屈託なく笑って見せると、二人は呆気にとられたような顔で元親を見上げた。
「生き残ろうぜ。皆で。な?」
広大な白い空間で空気さえそよともしない中、三人の足音だけが響く。全てを覆い隠す闇の中とは違い、ここではどんな些細なものでもはっきりと浮かび上がる。にもかかわらず何一つ動くものが見えないのは、本当に三人以外に生けるものがないという証だった。
だだっ広くはあるが、まるで導くように柱に挟まれた広い道が続いており、迷うことはない。三人は用心しいしい進んだ。
気を張り詰めてだいぶ進んだと思われるころ。前方に人影が表れて一行は足を止めた。
男だ。
ずっとそこにいたのに気付いていなかったのか、忽然と現れた人影は表情が分かるほど近い。漆黒の髪から、折襟の洋服から、光沢のある履物の先まで見事に黒で統一され、白い背景にくっきりと浮かび上がっている。だらしなく片足に体重をかけて立っている男は、武人である彼らと比べると細身で軟弱に見える。
男は一行をみとめると、にこりと笑顔を向けた。
「なぁんだ、三人だけかぁ」
これまで襲ってきた化け物の類と違い言葉が通じそうで、加えて友好的にも見える相手に三人は戸惑った。政宗が油断なく男を睨みながら短く問う。
「誰だ」
「他の三人はどーこかな? なーんてねぇ、闇のなかに置き去りにしてきたの、ちゃあんと知ってる」
男は質問に答えず、妙に間延びした口調で言う。どことなくいやらしい言い方に元親は眉を顰めた。言葉で人を苦しめるのを楽しむような、明確な悪意が感じ取れる。男はさも愉快気に笑い、無邪気を装って言葉の刃を投げる。
「ぁははっ、次はだあれの屍を踏み越えるのかなぁ?」
なぜか胸がざわつく感覚に幸村は眉をよせる。この男の言葉は、何か嫌だ。
「お前ら、耳を貸すな。こいつぁ、今までの化け物と同じだ」
元親の警告にかぶり、男の声がいやに大きく響く。
「みーんな、犬死になのにねぇ」
どくり。
胸の奥が嫌な音を立て、幸村は咄嗟に衿元を掴んだ。政宗が顔色を変え、怒りにかすれた声を荒げる。
「犬死に、だと……!?」
「おいっ、落ち着け!」
幸村の異変に気づかず、元親は政宗を庇うように半歩前に出る。
落ち着け。元親の声が耳の奥で反響する。喉元で心の臓が早鐘を打っている。湧き上がる激しい感情に何と名がつくのか、混乱した幸村には分らない。いろいろな声が頭の中にがんがん響き渡り、訳が分からず喘ぐ。
闇の中 置き去り 立ち止まるな 犬死 生き残ろう みんなで イミガナイ アンタガ――
「すごいすごい! どんどん温度が上がってるの! 150、160……200! まだまだ上がるの!」
何が熱を発生させるのかしら? 体表温度は、体内温度は? 喜々として目にもとまらぬ速さで鍵盤を叩く子供の頬は、興奮に赤みが差している。視線の先の幸村は明らかに度を失いかけている。
そんな主を大喜びで観察する子供に殺意が芽生えるが、佐助はそれをぐっと耐えた。こいつに何かあれば、あの悪趣味な夢の中から大事な主が出られなくなる可能性があるということを、冷静になった頭で考えて肝が冷える思いがした。
殺しても死なない、人の苦痛を屁とも思わない、得体の知れないガキだ。しかし全ての鍵を握るのはこの子供なのだ。
馬鹿な真似しないでくれよ、何もできないない歯がゆさを噛みしめ、佐助は祈るように画面を見つめた。
黒衣の男は何が楽しいのか、けらけらと笑いながら言葉を向ける。政宗はすぐにでも斬りかかりたい衝動に襲われながら、元親が背中で押しとどめるように立ちはだかっているために動けずにいた。
「無駄、無駄、ぜーんぶ、無、駄。だって」
にいやり、男の口の端が邪悪につり上がる。
「皆、俺に殺されるんだから」
激しい憎悪が瞬時に心を支配する。
まさに刀を抜き放とうとしたそのとき、先に動いた者がいた。
「ぅ……ぁ、ぁぁあああっ、きさまあぁぁあっ!!」
幸村だ。
獣のような叫び声をあげ、闇雲に突っ込んでいく。元親の焦った声が幸村を呼んだ。男は逃げようともせず、何かを持った右手を幸村に向ける。
危険だと思った。
根拠も何もない直感。しかし、男の口角がつり上がっているのを見て確信に変わった。
「……っ、馬鹿野郎!!」
政宗の叫びも幸村の耳には入らない。振りかぶった矛先で紅蓮が渦を巻く。身が竦むような怒気が肌を打つ。男の手の中の物が火を噴き。
真っ白な床に紅い華が咲いた。
≪ 品書 ≫
ちかべは男前だと主張しt。…男前というか優しい兄上のようなイメージ。どっかうっかりするとおかあさん。何しろ姫若子ですから。
筆頭は人の悪意にすごく敏感だと思う。逆に幸村は悪意にはすごく鈍感な気がする。というか自分の感情にも鈍そう。