*流血注意報
三度、狭い洞窟を元親の灯りを頼りに走る。幸村がどんなに泣きわめいて暴れても、慶次は抱える腕を緩めようとはしなかった。その目元が僅かに歪んでいるのは、痛みに耐えているのか聞く者の心を抉るような悲痛な絶叫のためか。
やがて、入口が見えなくなり獣の唸りも聞こえなくなった頃、前も後ろも同じような景色の洞窟の真ん中で一行は足を止めた。
幸村はぐったりと慶次の背に体を預け、暴れる気力もないといった様子で泣きじゃくっている。置いてきた忍の名を、壊れたように繰り返しながら。慶次はそんな虎の若子をそっとおろした。地に足が着いた途端に慶次を突き退け、来た道を戻ろうとする腕を慌てて掴む。
「おいっ、幸!」
「……っ、離せッ!!」
幸村は見たこともないほど乱暴に慶次の手を振り払おうと暴れる。
その様子を、政宗はじっと見ていた。己が認めた好敵手のはずの男が、思うままに駄々をこね、恥も外聞もなく泣きわめくのを、何の感慨もなく眺めていた。みっともないと思うより、腹が立った。めそめそしてんじゃねえ、泣いてる暇はねえ。けれど思ったことは口から出なかった。
むせび泣く姿に、自分の影を見た。
自分には許されなかった弱さ。立ち止まることも、縋ることも、自分自身が許さなかった。
無言で篭手を外し、無造作にそこらにほうって幸村に歩み寄る。その襟首を引きずり上げて、そのまま素手で一発殴りつけた。まともにくらった幸村が、受け身も取れずに地面に転がる。制止する慶次を無視してつかつかと歩み寄り、再び襟首を掴み上げる。
幸村は瞼を赤くはらし、おまけに口の中も切ったのか唇の端に血を滲ませて、ひどい顔だ。
「甘ったれんじゃねぇ!!」
襟ぐりを掴み上げられて、怒りに燃える眼で政宗を睨んだ。と思うと強烈な頭突きをくらい、目の前に星が散った。思わず手が離れ、よろけて膝をつく。
「きさまにっ、なにが、分かるっ!!」
同じく這いつくばりながら喚く言葉がいつもよりまだ舌足らずになっているのは、頭突きした方もかなりの衝撃を受けたからだろう。分かりたくもない、部下を失っただけで己の道を見失うような子供の考えなんて。
幸村は涙に咽びながら必死で言葉を繋ぐ。弱い己を正当化しようとする。
「あれは、いつも死の際におるくせに諦めがよすぎるのだっ! おれが引きずってこなければっ、すぐ、に命を……」
「だからどうした? 忍に手を引いてもらわなきゃ前に進めねえのは手前だろうが」
それを願うのは、自分のためでしかない。
幸村の顔が悔しそうに歪む。政宗を睨む瞳から、先のような激しさが消え失せる。
「ここで立ち止まるなら、手前の部下は犬死だ。俺は後ろを振り返らねえ。何としても出口を見つける。このふざけたGameに勝つ」
彼らがどんな思いで命を賭して主を生かしたのかを考えて、前に進むのが主としての責任だ。それがあいつらへの餞だ。
それが分らぬというのなら、ずっとここで泣いているといい。
言い捨て、砂を払って立ち上がる。
「政宗殿」
今までとは明らかに性質の違う声が、政宗を呼び止めた。
見ると、まだしゃくりあげながら泣きはらした目をこすって顔を上げようとしている。慶次がすかさず懐紙を取り出して渡してやる。例の忍ならば、有無を言わさず顔を拭きにかかるところだろうが。なんとか体裁を整えた幸村が、今度こそしっかりと顔を上げて政宗を見た。
「もう一発、お頼み申す」
政宗はしばし、無言でその目を見返した。真っ直ぐな視線はそらされない。ふっと、笑いとも安堵ともつかぬ息が漏れた。そうでないと、面白くない。それでこそ、俺が認めた男だ。
大股で歩み寄り、その頬に渾身の拳を叩きこんでやった。一切の躊躇いもない拳を受けてまた口内を切ったらしく、這いつくばったまま虎の若子が血を吐く。
政宗は震える拳を握りしめ、従者を失って以来、初めて不敵に笑ってみせた。
「いつまで寝転がってんだ、アァ? Get up! さっさと行くぜ」
堂々たる竜を見上げて、若虎の瞳にも光が宿る。
「かたじけない」
元親が政宗の篭手を持ち主に投げ渡す。慶次が幸村に手を貸し引き起こす。ようやく二人の気持ちが重なり始めたのを感じ、慶次と元親はそっと笑み交わした。
ふと、目が開いた。
死んだはずなのに目が見えるなんておかしなこともあるものだと、ぼんやりと歪んだ窓のように切り抜かれた景色を眺める。
そうしていると、無機質な微音と共に微かな震動が伝わり、眺めていた窓が触りもしないのに開いた。薄暗い天井が見える。全く同じ大きさに加工し、磨き上げた石を整然と敷き詰めたような、不自然に平らすぎる天井から、不思議に光る丸いものがつり下がっている。眩しさに目を顰めた。
指の一本を動かすのも億劫で、しばらく仰向けで見たことのない天井を眺めていたが、微かな物音に佐助は意識をそちらに向けた。人の話し声のようだ。妙な雑音が混じって聞き取りにくいが、確かに聞き覚えのある声に、佐助は弾かれたように身を起こした。――動ける。確かに喉笛を食いちぎられたはずなのに、触れてみても異常はない。
どうなってる……?
周囲の様子が目に入ると、ますます異常さが目についた。白を基調としているのに、薄暗いせいで黒の方が目につく。壁も、床も、一枚の鉄板を敷いたようにつなぎ目がなく、足を下ろすとひやりと冷たい。自分が横たわっていた場所は、曇硝子でできた棺のようだ。
狭い部屋には全く同じ形の棺が床一面に並べられている。その棺以外に物と言える物はなく、正面に取っ手も何もない扉らしきものが壁に埋め込まれるようにしてあった。音はその向こうから聞こえてくるようだ。佐助は気配を殺して床の上に降りた。
まずは扉に張り付いて壁の向こうを窺おうとして、突然その扉が左右の壁に吸い込まれるように消えたのに驚き飛び退く。しかし人はいないようだ。
恐る恐る扉の向こうを覗き込むと、ごちゃごちゃとした機械が積み上がったむこうから青白い光が漏れていた。妙にちらちら点滅して、時折影も横切る。なのに、空気の揺らぎが無い。
そろそろと明かりに近づいてみる。光は、高い台の上に置かれた四角い物体の、そこだけ硝子のようになっている一面から発されていた。その周囲にもいくつもそれよりは小さな同じようなものがあり、それぞれ淡い光をはなっている。そこにいた人物に佐助は目をみはった。
先に闇に呑まれたはずの片倉がいた。
見たところ負傷している様子もなく、普段と違うところといえば二本の刀を帯びていないくらいだ。静かにその光を見ていた小十郎は佐助にちらりと視線をやると、何とも不機嫌な顔で顎をしゃくってみせた。
光源の前に小柄な後姿がある。高い台に合うように脚が長く作られた台の上に、足をぶらつかせて腰掛ける人物は、後姿だけで異様な雰囲気を醸している。台座ごと振り返った人物に佐助はあっけにとられた。
「サルトビサスケ……ニンジャって言うから期待してたのに、つまらない見世物だったの」
子供だ。光の色に染まって青白く光る髪は奇妙にちぢれている。南蛮人が着るような袖が体に沿うよう作られた薄手の白い上着を着ているが、ぶかぶかで裾をまくり上げている。姿かたちも確かに奇妙ではあるが、佐助はそれだけでない違和感を感じた。この子供は、もっと本質的な何かが、おかしい。だがそれが何かは分からなかった。
声も出ない佐助に向って、子供は芝居がかった仕草で両手を広げた。まくった袖がずり落ちて指先が隠れる。
「とりあえず、ようこそボクの研究室へ」
座るところもないけど寛ぐといいの、と気さくに言って、自分は座ったままくるりと机の方を向いてしまった。寛げと言われても、こんな訳のわからない場所で黙って大人しくしていることなどできない。佐助は仏頂面の小十郎に目を向けた。
小十郎はただ機嫌が悪いというより殺気立ってすらいるようだった。
「……で、一体どうなってるんですかね」
「俺にもよく分からねえ。そこのガキに聞いてもろくな答えが返ってきやしねえ。だが、玩ばれていることだけは分った」
心底ぶっ殺してやりたいと思っているのが見て取れる。佐助は訳が分からず、首を傾げる。あれを見てみろ、と小十郎に示されて振り返った光る画面の中、見慣れた姿が目に入った。
「旦那!?」
光る小さな箱の中に、佐助の主がいた。
うなだれた頬が、殴られたように赤いのが目につく。思わず飛びつくように駆け寄る。こちらに気づかず黙々と歩き続ける幸村に必死に呼びかける。
「旦那……、旦那っ!」
「向こうには、こっちの声は届かないらしい。俺たちは、ずっとここで監視されていたんだと。……なにがgameだ、くそったれが」
吐き捨てるような悪態は片耳で聞き流した。口元に奇妙な笑みを乗せて画面を見詰める子供の肩を掴み、乱暴にこちらを向かせる。細い肩は骨ばって固い。
「アンタは何者だ。ここは何だ。何で死んだはずの俺が生きていて、旦那があんな所にいる」
子供は矢継ぎ早の質問を受けても表情を変えなかった。笑っているのかと思ったが、口角がわずかに上がっているために笑っているように見えるだけで、瞳には何の感情もない。
そうか、目だ。
先ほどの直感的な違和感の正体。まるで見る者全てを緻密に観察し、推し量っているような。この年頃の子供にあるはずの輝きが、そこにはない。
「ボクが誰かなんてどうでもいいの。ここは『現実』。あれはプログラムなの。キミは生命の維持が困難になる程度の損傷を受けたから、仮想空間からはじき出されたの」
もっと本気のデータが欲しかったんだけど。子供はどこか残念そうに答える。
「キミのダンナは眠ってるの。大丈夫、出口にたどり着くか、死ぬかすれば目覚めるの。もっとも、まだ出口って作ってないんだけど」
その言葉に愕然とする。では、自分たちは存在しない出口を探して進んでいたというのか。
玩ばれている。その言葉の意味が分かった。湧き上がる憎悪を抑えられない。
「今すぐ旦那をあそこから出せ」
「嫌。まだ十分なデータが取れていないもの。それに」
子供は台の上で膝を抱え、4人が映し出された画面を見る。自分の主にあの視線があてられているのを感じ、言葉で言い表せない不快感が背筋を這い上がる。
「――あの二人の癇癪も、なかなか面白い。いつまで正気を保てるのかしらね?」
まるで楽しくてたまらない、というように。
瞬時に視界が真っ赤に染まる。
血が沸騰するような衝動とは逆に、体の芯は妙に冷えていく。
――殺、す……!
咄嗟に探った個所に、持っていたはずの暗器はなかった。それがわかると迷うことなく己が指先に集中する。鍛え上げた忍の体は、それ自身が凶器となる。子供のやわらかな項を破り、命を絶つことなど容易い。神? 笑わせるな。今すぐそのふざけた口を二度ときけないようにしてやる!!
子供は振り向きもせず、頸を穿たれた。薄い皮膚を破り、その先の骨を砕く。衝撃に細い体が前にのめる。片倉の怒声が聞こえた気がしたが、頭に血が上って言葉は聞き取れなかった。鍵盤の上に突っ伏して最期の痙攣をしているかに見えた子供から、次の瞬間には平然とした言葉が発せられた。
「本当に指一本で人が殺せるのね」
ぎょっとして飛び退く。子供は何事もなかったように身を起こした。確かに急所を穿ったはずだ。手に感触も残っている。有り得ない事態に全身が総毛立つ。
「化け物か――」
「バケモノ。そう呼んでくれてもいいの。カミサマと大差ないの」
子供は、まあそんなことはどうでもいいの、と自らの言葉を切り捨て、佐助を振り返った。
「それより、その闇を味方につける力」
とても興味深いの、と、子供はにぃっと笑った。無邪気なはずのその笑みに、底知れぬ邪気が漂っていた。
≪ 品書 ≫
もう一つ思い出したのは、好きな人(幸村)を描写の中心に持って行きたがる傾向を矯正したかったということです。
……全てにおいて挫折しているじゃないか自分。
蒼紅のけんか、初めての場所に戸惑うさすけ、書いている間はとても楽しかったです。親と慶次は蒼紅よりは大人だと思うんだ。