*非死ネタ注意報




 振り返った政宗は、子供のような顔をした。絶望に掴まれて助けを求めるような、幼い主がよく見せた顔だった。ここ数年見せることのなかったその顔を、己がさせているのだと思うと胸を抉られるようだが、政宗様はもう小十郎に頼ってばかりの御子ではないのだ。己のなすべきことを見据え、自身の足で進んできたはずなのだ。

元親が持っていた灯が遠ざかっていくのを見た。一寸先も見えぬ闇の中を落ちながら、感触で柄を探り当て、抜き放つ。刀身が雷を纏い、青白く輝く。
 羽音と共に突風が近付いてくる。耳に突き刺さる鋭い鳴き声に顔を歪めても、耳を塞ぐことは耐える。顔の前に刀を水平に構え、ありったけの力を注ぎ込む。

「来るなら、来いやァ!」
 腹に力を込め、凄みを利かせて敵の来るだろう方向を睨み据え。闇の中で漆黒の鉤爪が糸月を映した。

 そこで、小十郎の記憶は途切れる。





 政宗は橋の方を振り返って、呆然としたようだった。
 自ら闇に飛び込んだ獲物を追って、翼をうつ音が急降下して遠ざかる。これまで何とか持ちこたえてきた橋が、巻き起こった突風についに吹き飛ばされた。此岸に杭だけを残して、切れた綱と木片が闇の底に消えていく。

 立てるだろうか、と政宗の背中を見て幸村は思った。政宗が人前で地に手をつくことは滅多にない。常に強気で、いささか傲慢すぎるくらいが普通だった。それが、呆然と闇を見つめている背は頼りなく、二度とその足で立ち上がれないような気さえしてくる。
 戦場で片倉殿が常にその背を守っていたのを知っている。そんな人を失うのがどんなことかと思うと、何と声をかけてよいのか分からない。どんな慰めも、今の政宗には無意味だ。
 しかし、状況が立ち止まることを許さなかった。

 ひたり。

 暗闇の奥から地面を踏みしめる微かな音。いち早く気づいた佐助が目の動きだけで隣の慶次に注意を促す。息遣いも聞こえぬほどひそかに忍び寄る気配に、慶次はそろそろと大刀の柄に手をかける。

ひたり、ひたり、

 姿が見えず、殺した足音だけが聞こえてくるのは何とも言えず不気味だ。
 唸り声をあげて闇の中から襲いかかってきた物は、佐助の投げた大手裏剣に首を抉られ地に沈んだ。地面に黒い染みを広げながら息絶えたそれは、真っ黒な大型の犬のように見えた。
 それを合図にいくつもの足音が地を蹴り、息を潜めていた獣が闇から姿を現す。退路が断たれている上は、牙の涌いてくる洞窟の奥に進むしかない。咄嗟に政宗を案じた。
 しかし心配は無用だった。細身の刀が白い残像をみせて、飛びかかった狼が地面に転がる。政宗は立ち上がれないのではないかと思われた足でしかと地面を踏みしめ、足下に転がった哀れな獣を無表情で見下ろす。大丈夫なのか。しかし、問いただしている暇はない。幸村も二槍を振るい、走り出す。
 漆黒の瞳の奥、何を思っているのかは分からなかった。




 襲い来る狼の群を切り捨てながら走る一行の前、道が二又に分かれる。素早く佐助が示した方へ駆け込むと、ほどなく今度は三又に分かれる。僅かに足が緩んだが迷うことなく正しいと思われる一つを潜り抜ける。その先には咄嗟に数えきれないほどの分かれ道が現れる。いくつもの漆黒が無秩序に口を開けているのを見て、佐助のすぐ後ろを走る元親が悲鳴を上げた。

「迷路かよっ!」
「まあ、一本道なんて親切すぎると思ってたんだよね」

 佐助は答えつつ飛びかかってきた狼に黒い刃をくれてやり、こっち、と一行を導く。灯りの一つもくれねえくせに、橋だって落ちたじゃねえか、どこが親切なんだ、ぶつぶつ文句を垂れる元親の後ろから、幸村が佐助を呼ぶ。
「頼むぞ、佐助!」
「はいよ! 任せな!」
 信頼しきった声に佐助も力強く返した。
 しんがりは慶次だ。無言ですぐ前を走る政宗の極限まで無駄をさいた戦いぶりに、内心舌を巻いていた。臣下を失った動揺は全く見えない。まるで冴えすぎた刃のようだ。慶次も背中に噛みついてくる狼たちを払い落し吹き飛ばし、前方からも獣が迫って来るのを見るや、大刀を振りかぶった。

「皆っ、どいてな!」

 それぞれが壁際に飛び退くのを見、振りかぶった太刀を横薙ぎに振り抜く。巻き起こった風が渦となり、狼たちを一気に吹き飛ばす。その先は一本道、相変わらず黒々とした闇だが、出口らしいことが分かった。すぐ背後に迫る気配を感じながら、束の間開いた道を一行は全力で駆け抜けた。


 洞窟を飛び出す。相も変わらず空は真っ黒、今度は左右に道が無く、前方の闇に向かって地面が張り出している。闇黒の淵が横たわる向こうに、こちら側と同じような形で地面が張り出しているのが見える。その間に橋はない。いかに身の軽い忍といえど、とても一跳びには跳び越えられない距離だ。

 しかし元親は足を緩めない。闇に向かって全力で疾走。そのまま崖の淵を蹴った。
「ぅおりゃぁああ!」
 気合いの声と共に、元親の碇槍が火を噴く。炎が勢いを倍増、彼岸に届くかと思いきや、あと一息で届かない。元親は闇の上で失速を始めた槍を掴み、空中で体をひねる。碇の鎖が銀の軌跡を残して伸びる。それがやっと対岸の土を掴んだ。
「やるねえ、鬼の旦那」
 佐助が軽い調子で褒める。外套の中を探っていた手が一束の縄を掴みだし、するするとほどいて対岸にほうる。対岸の元親が縄の端を槍に絡めつけ、佐助が踏んで張らせると、彼岸と此岸が一本の綱で繋がった。

「いいよ、行って!」
 そうしているうちに、洞穴からは獣の息遣いや足音が迫ってくる。群が追い付いてきた。応戦しようとした政宗に「行かれよ!」叫び、幸村が槍をかざして応戦する。佐助の背に立つのは、この自分だ。
 政宗は渡された綱を足場に、トン、トンとあっという間に渡り切る。後に続く慶次も、見た目に合わず軽々と、体勢を崩すこともなく不安定な橋を渡り切る。それを見届けて、佐助は幸村に声をかけた。
「旦那も、行って!」
 幸村は一声吠え、群がる狼を一気に炎で吹き飛ばす。そのまま助走をつけて、跳躍。一度だけ足場を蹴り、再び大きく跳躍する。それで危うげなく対岸に着地すると、すぐさま佐助を振り返った。

「佐助!」
 佐助は張らせていた縄を手放した。牙をむいて飛びかかる獣の群を迎え撃ちながらじりじりと崖の淵に近づく。吹き飛ばした一匹が、続く数匹を巻き込んでもんどりうった。
 その隙を――明らかな好機を、逃した。
 幸村が顔色を変え、再度その名を呼ぶ。

「佐助! 何をしておる、早う渡ってこい!」
 橋などなくとも、佐助ならば鳥を使って簡単に跳び越えられるはずだ。焦燥に断崖まで駆け寄った幸村を、慶次が肩を掴んで引きとめる。その手を乱暴に振り払う。
「かような訳のわからぬところで、お前を失うわけにはいかぬ!」
 佐助は振り返らない。今や獣たちの狙いは彼岸にいる一人に集中している。佐助はたった一人で次々に襲い来る獣を切り捨て、切り捨て、ひたすら殺す。その場から一歩も動かぬというように。

 まだ道は半ばだ。それなのに、こんなところで。
「許さぬぞ!!」

 激昂。
 悲鳴のような絶叫が迸る。
 常々でかいと評される声を、喉が壊れるのではないかというほど振り絞って喚き散らす。虎若子の怒り狂う姿は、並の兵ならば無条件に降伏せしむだけの迫力があるが、忍は飄々と受け流すばかり。振り返らずにただ一言、それも主ではなくそのすぐ後ろの偉丈夫に向けて。

「風来坊さん、旦那連れて、さっさといってくれない」
 うるさくてかなわない、とでも言うように肩越しに告げられた言葉は、火に油を注いだ。慶次は一度躊躇った。伸ばしかけた手は、幸村の肩に触れる前に振り払われた。

「犬畜生などに殺されるのは許さん! お前を殺していいのは、おれだけだ! お前が死ぬのはおれが許した時だ! 許さぬぞ! 許さぬぞ佐助ェ!!」
「……っ、さっさと行け! アンタが死んじゃ、意味がない」

 佐助の鋭い一喝に、慶次が今度こそ幸村を捕まえる。突然担ぎあげられ、肩の上で一寸呆然としたが、すぐに全力で暴れ始める。拳で逆さの背を殴りつけても、慶次はびくともしない。足をばたつかせても、逞しい両の腕に抱えられて満足に蹴りつけることもできぬ。
 必死で肩に手をついて顔を上げる。どうすることもできず、佐助が遠ざかっていく。

「嫌だ……」
 あくまで傲慢で、従うのが当然というような強い声が一転、縋るような響きを帯びる。

「嫌だっ、佐助ぇ!!」

 子供のような叫びに、頑なに背を向けていた佐助が振り返る。唇が微かに動いたような気がした。だが、何を呟いたのかは分からなかった。





「ごめん」

 聞こえないと知りながら、呟く。慶次に抱え上げられて、めちゃくちゃに暴れているのが見える。嫌だ、いやだ、さすけ、もどれ。
「ホント、ごめん」
 まるで子供が駄々をこねるようなありさまに、自然とあやす声音になる。背中を拳で叩かれながら、慶次が振り返ることはない。それでいい。早く見えないところへ行ってくれれば、無様に噛み殺される様を主に見せずにすむ。

 何度も吹いた指笛、旦那にはああ言ったけれど、本当はずっと鳥を呼んでいたのだ。来てくれれば、すぐにでも旦那を連れて飛んで帰れるだろうから。けれど、大烏は来てくれなかった。片足を負傷した自分には、もう本当にこの崖を渡る手段がない。

 明かりが遠ざかる。じきにここは暗闇に閉ざされる。いくら闇を味方につける忍びでも、視界のきかない中で獣と戦い続けられるはずがない。主から姿が見えなくなったら、闇に身を投げるなどして、できるだけ苦痛の少ない方法で自らを葬ろうと思っていた。

 それなのに、ばかみたいだ。無意味だと分かっていながら、自分はまだ刃をふるって、足掻いて、戦い続けている。
(あの人が、)
 許さないと、言ったからだろうか。許すだの許さないだの、そんなこと関係なく人は死ぬ時には死ぬ。

 灯りがなくなっても、先までのような真っ暗闇にならないことに気がついた。月のない夜の星明り程度の、ほんの淡い、あかりですらないようなものだ。それでも動く影が確かに見える。暗闇の道を抜けて、確かに出口に近付いている。
(もう一度、だけ)
 闇の淵まで飛び退り、素早く印を切る。佐助と群の間の闇が檻となり、獣の牙を束の間封じる。闇に向かってもう一度だけ、息の続く限り呼び笛を吹いた。一縷の希望を込めた音が空に吸い込まれていく。

 甲高い笛のこだまが消えるより先に背中に衝撃、視界が反転して真黒な天が目に入る。その先に地面はない。耳元でガチガチと牙が鳴る。生臭い獣の息が顔にかかる。こんなところで、こんなことで――無防備な首に牙が突き立ち。
(……ごめ……、旦、)

 己の喉笛が潰れる音を聞いた。




 品書 


徐々に長くなる不思議。

泣きわめいて駄々をこねる幸村にもゆる件。慶次との体格差にもゆる件。
さばさばしているようでいて意外と気にしいだったら可愛いと思うアニキ。ちかの見せ場は終わりました(おおう!?)。

書いているうちに躍動感のある文章を練習しようと思って書き始めたことを思い出しました。通りで書きにくいわけだと納得。むしろ初めっからぐだぐだですね(撃沈)。