*次々に死んでいきますが、死ネタではありません。
長い洞窟を抜けても、そこは暗闇だった。
目の前は底の見えぬ切り立った崖で、その先には何もない。光の届かぬ空間が広がっただけ、薄暗くなったようにも感じる。
一行が歩いてきた洞窟は、巨大な絶壁の中腹にあるようだった。右手は行き止まりで、正面と同じような深淵が口をあけている。左手に、相変わらず草一本生えない平坦な道が続いていた。
狭い洞窟を抜けたというのに、まだ地の底にいるような心地だ。慶次が物怖じせずに底の見えない闇を覗き込んで、感嘆の声を上げた。
その後ろから覗きこんだ元親と、小石でも落としてみようか、などと言葉を交わして、試しにひとつほうってみる。二人はしばらく崖の淵を覗き込んでいたが、闇に覆われた先からはかなり待っても微かな音さえ返ってこなかった。
「こりゃあ、踏み外したら一巻の終わりだね」
おおこわ、と慶次は大袈裟に身震いをしてみせた。
「どうしたの、旦那。」
幸村は灯りの映る壁際で、仏頂面で目の前を睨みつけている。ぴりぴりとした空気を纏わせているのを気にする風もなく、佐助はひょいと脇から主の顔を覗き込んだ。呼ばれて幸村はちらと佐助に目を向けたが、無言で顔をそらした。
無視される形になった佐助は、こっそりと溜息を吐いた。主の不機嫌のわけは大方想像がついた。無論、先から何やら物騒な気を向けてくる独眼竜も理由の一つであろうが。
いつも光を見ている幸村が、浮かない顔で暗闇を眺めているのは似つかわしくない。佐助は主と闇の間に割り込んで、にこりと笑ってみせた。
「手でもつなごうか」
「……ふざけるなっ」
なだめる口調で逆撫ですると、幸村は佐助の思惑通りくってかかった。闇黒の虚無を向いていた眼が佐助を見ていつもの光を取り戻したのに、佐助はほっとした。
右側は奈落に通じているようにさえ思えてくる崖だ。時には岩肌に張り付くようにして進まなければならない場所もあり、自然と会話は減っていった。
所々で、佐助は長い指笛を吹いた。聞けば、対岸が近付いてきているらしい。幸村にはよくわからなかったが、忍びの鋭い耳は僅かな音を聴き取っているらしかった。代わりばえのしない景色の中で、佐助の報告だけが一行が確かに進んでいることを示していた。
幸村は二本の長い槍を今は持て余し気味に抱えながら、前を行く元親たちを黙々と追う。戦場では思い通りに操れる二槍が、今は足取りを邪魔する物になっていることが気にくわなかった。そろそろと手探りで進むしかない状況が、ますますもって気にくわなかった。
先からの佐助の言動も、苛立ちを募らせる要因だ。手をつなごうなど、子供に言うようなことを。横道に入ろうとした時も、先に行こうか、だと。この幸村が怖気づくとでも思うてか!
天のあるべきところを見上げたところで、星の一つも見えぬ。墨を流したような、のっペりと黒い空間が広がるばかり。
何かと苛立たしいことばかりで、本当は何に苛立っているのか自分でもよく分からない。ただ、人よりいささか不器用な幸村は、常より一度に二つのことをしようとするとどちらかがおろそかになる。余所事を考えながら歩を進めていると、踏み出した先で不意に地面が消えた。
あっと思う間もなく体勢を崩して視界が不自然に傾く。奈落の闇が眼前を埋める。
暗転。
気がつくと、佐助に壁際に押しつけられていた。力任せに掴まれた腕と、岩壁にぶつけた肩がじりじり痛む。地に足が着いているのを自覚すると、途端に恐怖が這い上ってきた。どっと冷汗が噴きだす。
足を滑らせたのだ。佐助がこの手を掴んでくれなかったら。
「何もないところで、なにやってるの」
目を吊り上げた佐助に詰め寄られて、うなだれる。
「うぅ……すまぬ」
消沈する幸村に、佐助はそれ以上何も言わなかった。小さくため息をついて、有無を言わさず手を引いて歩き出す。幸村も、今度は逆らわなかった。
つないだ手の感触が、ありがたかった。
細々と続いていた道が途切れたところで、元親は振り返った。
「おい! 橋があるぜ」
両岸に打ち付けた杭に縄を張り、板を渡した、割合手の込んだ橋がかかっていた。だがずいぶん古い物のようで、縄も板もかなり傷んでいる。渡ろうとしたら途端に落ちそうだ。橋の終わりにはまた狭い洞窟が黒い口を開けていた。
「道を作ってくれるのはいいけど、もちっとマシなのを作れなかったのかね」
親切なのか不親切なのか、と慶次がぼやく。ここを通るしかねえよな、という元親の言葉に、幸村は表情を険しくした。
慶次はしきりに杭をつついたり縄を揺らしてみたりしていたが、振り返って気軽な調子で提案した。
「俺が渡って大丈夫だったら、皆来ればいい」
言うや否や、まるで落ちるなど微塵も考えていないかのような足取りで闇の方へと橋を渡っていく。確かに、一番の大男の慶次が渡れればそれなりの強度は保証される。一同固唾を呑んで見守る中、存外あっさりと向う岸に着いたらしく、能天気に手など振っているのが小さく見えた。
ほら行くよと佐助に手を引かれ、幸村は一瞬躊躇った。すぐ後にはその行動を恥じるようにキッと顔を前に向けるが、どうやっても足が進まない。先ほど落ちかけた感覚がまだ残っているのだ。
「アンタは、一人で渡ったら渡板をぶち抜きかねないんだから」
終いには焦れた佐助にひょいと肩に担ぎあげられ、悲鳴を上げた。そのままひょいひょいと橋に踏み入られたものだから、暴れることもできず、あっけなく渡り終えた時には恐怖と羞恥に涙目になっていた。
元親は、若い主がお付きの忍びに八つ当たりしている様子をほほえましく見やってから、距離を離して後からやってくる政宗たちに声をかけた。
「あんたらも、早く渡っちまいな!」
元親の呼びかけも聞こえているだろうに、政宗は足を速めようとしない。やれ強情なことだと呆れながらも、元親は灯台の役目を果たすべく、碇槍に寄りかかって蒼い主従が来るのを待った。
ざわ、り
闇の中、何かが蠢く。光を掲げる元親は気付かない。闇に隠された天で、音もなく忍び寄る存在があることに。
「気をつけろっ!」
慶次の怒号が届いたのと、元親が異変に気づいたのはほぼ同時だった。頭上からの圧迫感に咄嗟に横に転がる。一瞬前まで立っていた場所を鋭い爪が掠めていったのを目の端に捉えた。
なんだありゃあ! と慶次が悲鳴を上げるのに構っている暇はない。耳障りな鳴き声が耳に突き刺さった。
鳥だ。それも、とてつもなく巨大な怪鳥が光を狙って旋回している。
「チィッ!」
やむなく二人が来るのを待たずに橋を駆け渡る。途中何枚か板を踏み抜いた。元親が猛禽の爪をかいくぐり洞窟に駆け込むと、怪鳥は薄闇の中を動く物に標的を変えた。闇に溶け込む黒い姿が空に舞い上がり、走り出した双竜に襲い掛かった。
応戦する政宗の雷撃が青白く閃く。だが素早い旋回でかわされる。橋を渡ろうとする二人の上を飛び回り、執拗に叩き落とそうと爪を振りかざしてくる。なんとか身をかがめて爪を避けるが、巨大な翼が起こす風にあおられ、不安定な橋が大きく揺さぶられて、動くに動けない。
「落とさせっかよ!」
元親の薙いだ鎖が、煌きながら鳥を追い払う。佐助もいてもいられず飛び出そうとする幸村を押しとどめ、心底嫌そうに印を切る。と、空間に満ち溢れた闇が、怪鳥の片翼に食いつく。さすがに怯んだか、攻撃の手が緩んだ。
政宗はなんとか縄にしがみつきながら顔をあげて怒鳴った。
「余計なことすんじゃねえ!」
これだから嫌なんだ、と佐助が口の中で毒づいた。
「あなたは、まだそんなことをっ!」
うっせぇ! 小十郎の叱責に吐き捨てながら、政宗は必死で不安定な足場を走る。さんざん揺すられて、もうまともな渡板は数枚おきにしか残っていない。そうしているうちにも一層足場が崩れていく。
最後の一足、小十郎が政宗を突き飛ばした。直後、橋が大きく揺れ、小十郎の足が浮く。政宗が彼岸に転がり込む。すぐさま振り返った一つ目が小十郎を捉える。確かに目が合った。
その瞬間、何が怖ろしかったのか政宗には分らない。ただ、また小言を言いそうな顔だ、と思った。
あと一跳びで手が届く、その目と鼻の先で。
小十郎の姿が崖の下に消えた。
≪ 品書 ≫
幸村が暗くて狭いところが苦手だったら可愛い件。
佐助は何も言われなくてもだんなのことは全部承知してたらいい。むしろ旦那よりも分かってたらいい。
そして殿にどこまで意地を張らせたらいいものか。