「Wait.」

 妙に温度の低い声に皆が振り返る。と、次の瞬間には、幸村の目の前に目にもとまらぬはやさで竜の爪がつきつけられていた。幸村は青く光る切っ先に目をやり、政宗を見た。

「何の真似でござる」
「とぼけんな。Partyの続きに決まってんだろ」
「今はここを抜け出すのが先決では、」
「あの声は、ここを抜け出せたら俺たちの勝ちだと言った。協力して抜け出せとは、一言も言ってない」

 確かにその通りだった。慶次は眉を寄せた。
 状況も分らぬ味方もおらぬ、現実離れした場に置かれて、無条件に協力するものだと思い込んでいたが、政宗も幸村も、出会ってからずっと敵対してきたのだ。決まった主を持たずに気の向くまま全国を巡っている慶次とは、意識が大きく違う。
 二人の従者も半ば予想していたらしく、動じる気配はない。

「あのー旦那方。先に何があるかわからないのに、こんなところで無駄に体力を使うのはどうかと思うけど」
「Shut up! 忍び風情が、口出すんじゃねえよ」

 佐助は端から聞き入れられないのは予想していたらしく、肩をすくめるだけだった。しかし、幸村はその言い方にカチンときてしまったらしい。誰が止める間もなく、今度は赤い矛先が政宗の喉元に向けられた。

「それがしの忍びを、愚弄することは許しませぬ」
「あーもう、喧嘩するんじゃねえよ、こんな所でさ」

 慶次のうんざりといった風の声も、幸村の耳には入らない。政宗だけを睨み据えて、はっきりと言い放つ。

「よかろう。ならば、貴様を倒してお館様の元に帰る!」
「そうこなくっちゃな! Let's bigen our show time!」

 政宗の一つ目が活き活きと輝く。幸村の顔にも興奮の色が浮かぶ。
 暑苦しく名を叫び合い始める2人の脇で、ああもう俺様知らない、と佐助は頭を抱えた。いつ割って入ろうかと機をうかがう慶次の後ろでは、こういう場面に立ち会ったことのない元親がぽかんとして成り行きを見守っている。
 小十郎はすっと背を伸ばし、おもむろに大きく息を吸い込んだ。

「政宗様!!」

 割れるような怒号が轟く。直接向けられたわけでもない男3人まで思わずびくりとするほどの威力をもった一喝に、さすがの二人も雷に打たれたように固まった。
 やがて、重苦しい空気に負けて先に刀を納めたのは政宗だった。

「……ちっ。興ざめだぜ」
「なっ……、先に刀を抜いておいて、逃げるか! 独眼竜!」

 なおも槍を構える幸村の後頭を、素早く近づいた佐助が容赦なくはたいた。
 小十郎も厳しい顔のまま彼の主に近づく。政宗は傲然と腕を組んではいるが、大股に歩みよってくる小十郎にはそっぽを向いて、決して目を合わせない。

「喧嘩は収まったかい」

 いつの間にかだらしなく槍にもたれて傍観していた元親が、頃合いを見計らって声をかけた。それぞれの従者に割って入られて、もう一触即発の心配はないようだ。
「なら、早いところ進もうぜ。どんな因縁があるかは知らねぇが、いつまでもこんなところでいがみ合ってても仕方がねぇだろ?」

 たった今まで刃物をぎらつかせていた相手に向かって、元親は屈託のない笑顔を見せる。口論に敗れてこっぴどく叱りつけられ、なんとなく元気のない幸村も思わず素直にうなずいてしまった。
 だが、政宗はぎろりと元親を睨みつけた。

「こんなところだから、敵とでも助け合おうってか? ご立派なこったな」
 政宗の挑発的な言葉を、元親は豪快に笑い飛ばした。

「ここじゃあ、立場なんて関係ねぇだろう? おめェらに恨みがあるわけでもなし、目的地が同じなら、一緒に帆を張るだけよ」

 おら行くぜ、と、言いたいことだけ言って上着を翻す。政宗が微妙に目元を顰めたのには気づかなかった。
 明かりを持つ元親が離れていくにつれ、5人のいる場所を闇が侵食していく。

「Go ahead. 先に行けよ。背中を切られちゃ敵わねえからな」
「なにを……っ!」
「あーほらほら、喧嘩しない! 幸、俺と行こ。な?」

 また剣呑な空気になりかけたところに慶次が無理やり割って入って、持ち前の強引さで幸村の手を引いた。
 抗議の声を上げながら引きずられていく幸村は振り返らない。佐助だけが一寸振り返って、政宗に鋭い視線をよこした。その目が嘲笑っているように見えて、政宗は眉根を険しく寄せて忍を睨み返した。
 明かりがますます遠くなる。

「政宗様……」
 もうお互いの表情はほとんど見えないが、いつものように諌める小十郎の声に気遣わしげな色が混ざっている。政宗は忌々しげに舌を打ち。

「うっせえぞ、小十郎」

 皆まで言わせず、一蹴した。




 うねうねと細い一本道が続く。
 細いといっても、大男の慶次が同じく大柄な元親と楽に並んで歩けるぐらいだから、それほど狭いというわけでもない。それなのに息苦しさを感じるのは、左右を岩壁に囲まれ、前後を闇がふさいでいるせいだろう。
 むき出しの地面には小石一つ落ちておらず、凹凸すらほとんどない。おかげで歩きやすくはあったが、同時にどこか不気味でもあった。
 命の気配がまるでないのも、気味悪さを後押ししていた。水音はするのに、虫の一匹、苔の一片さえ見あたらない。

 一行の間には重苦しい沈黙が降りていた。
 頼りになるのは元親の槍先に宿る小さな灯だけ。灯りを持つ元親と慶次が先を歩き、そのすぐ後に幸村と佐助が続く。それからやや間をおいて、政宗と小十郎が続いた。
 機嫌が悪いのは政宗だ。そのとがった空気にさらされて前を歩く二人にも、ピリピリとした空気が伝染しているのだった。

 政宗は腹を立てていた。
 あの声を完全に信用したわけではないし、するのも癪だが、これが現実だと断定しにくいことも確かだった。突然わけのわからぬ場所にいて、ありえない顔ぶれがそろい、どう考えても不自然な洞窟が湧いて出るなど、あまりにも現実離れしている。
 夢の中でならば、立場や状況に邪魔されずに決着をつけられると思った。
 それなのにあいつときたら。帰る、だと。
(俺がどんな思いで刃を合わせるのを心待ちにしているかも知らないで!)


 先頭を歩いていた元親が突然弾かれたように飛びのいた。うひゃあ、と情けない悲鳴が響く。庇うように前に出た慶次が腕から縄のようなものをむしり取って投げ捨てた。

「あらら、鬼の旦那は蛇が怖いのかい」
 忍びが揶揄するように言ったが、そのくせしっかりと主を庇う位置に立っている。その足元を、2尺ほどの蛇が逃げて行った。

「驚いただけだっ」
 噛みつくように返す元親をあしらいながら、佐助の目は噛まれた慶次の傷に向いている。慶次は血のにじむ上腕の傷に素早く布を巻きつけながら、佐助の視線に気づいて笑って見せた。
 すまなそうに気遣うそぶりを見せる元親にも、ことさら明るく笑ってみせる。
 四人の間に既に協力的な雰囲気ができていることに、ますます政宗は苛立った。


 政宗とて、状況も分らぬ、味方もおらぬこの場で孤立するのは、下手をすれば命取りになることも分かっている。小十郎の一喝で刀を引いたのも、多少の後ろめたさがあったからだ。
 幸村とやり合えば、他の面々との間に遺恨が残る。そうなれば、負けはもとより勝ったとしてもあの声の言うgameを進める上でなかなか厄介なことになる。是が非でも生きて帰らなければならない。
 そんなことを考えてしまう自分自身がまた、立場に縛られているようで気に食わない。

 政宗様、と傍らの小十郎が呼んだ。また小言かと、苛立ちのまま真田に向けていた視線をそのまま小十郎に向ける。

「あまり無茶をなさいますな」

 続いた言葉は予想外にも気遣うようなもので、政宗は意外さに片眉を上げた。
 無茶、というのは真田に喧嘩を売ったことを咎めているようでもあり、これから単独で行動することの危険を説いているようでもある。

「夢なら死ねば眼が覚めるかもしれねぇぜ?」
「たとえ夢の中だろうと、政宗様に命を落とさせるわけにはゆかないのです。死んだ後のことはわからない、それはこの場でも同じこと」

 冗談めかして軽口をたたく政宗に対して、小十郎はあくまで真剣だ。
 政宗にも分かっている。
 分かっている。

 そもそも、――この訳の分らない空間が悪いのだ。
 苛々と舌打ちをしてどうなるわけもなく、政宗は意固地に口を閉ざした。




 品書 


幸村(との手合わせ)が大好きなのに相手にしてもらえなくて拗ねたら可愛いよね筆頭、という妄想。

ちかべは男前だと主張したい。