炎を纏って戦場を駆ける。





 道を塞ぐものは薙ぎ払え。追い縋るものは焼き払え。

 槍を振り回し、雑兵を蹴散らしながら敵の本陣を目指して突き進む。馬上の鎧を一突きに突き落とし、馬に飛び乗り手綱を取る。目指すは本陣の大将のみ。飛んできた矢が耳元を掠める。馬上で槍を振るいながら、足を緩めることはない。時折馬で兵を跳ね飛ばした。わらの詰まった人形のように吹き飛ぶ光景が尽く後ろに流れた。
 足をやられたか、ついに馬が崩折れた。地に投げ出される。跳ね起きる。たちまち取り囲んだ青い鎧の兵たちに一瞥もくれず、ただ一方を目指し再び走り出す。
「邪魔だあぁぁっ!!」
 咆哮。
 道を塞ぐ群れに片っ端から槍を叩きつけ、切り崩し、驀進し続ける。熱いものが顔にもはねる。むきだしの腹にも流れる。全身ずぶ濡れだ。槍を持つ手がすべるが、得物だけは手放さない。

 邪魔するものは切り払え。道を開け。

 少し先には本陣の陣幕。立ちふさがる群れも、ものともしない。あと少し。射掛けられる矢を切り払い、時には取り囲む鎧も盾にする。
 ようやく辿り着いた陣幕を引き裂き、勢いのままに飛び込む。断ち切れず槍に纏わり付く布切れは、力任せに引きちぎる。ここでもわらわらと走り寄って来る木偶人形には目もくれず、一気に大将と思われる兜の前に躍り出た。
 大きな金色の月兜。
「大将殿とお見受けいたす。御首、頂戴つかまつる!」
 名乗る間も惜しく、叫び捨てると同時に再び槍をかざして切りかかる。
 首を取れ。お館様の天下のために!

 振り抜こうとした腕に、突如として思いがけぬ衝撃が走った。
 常ならばこれでけりがつく一撃。それが弾かれた。次こそは、と叩きつけた槍も固い手応えと共に防がれる。目の前で大将首が何か言っている。戦場の熱に茹り上がった意識では聞き取れない。
 突き出した柄を叩き落され、切り払った切っ先はかわされる。叩きつける攻撃はことごとく防がれて、僅かでも気を抜くとたちまち刀が迫る。重なる剣戟、長引く決着に気が急く。同時に、どこかで決着がつかないことを望んでいる自分もいる。
 初めての手ごたえ。木偶を蹴散らすのとは違う。己の全力をぶつけられる相手だ。

 渾身の力を込めた一撃が刀に受け止められた。腕が痺れる。それでも押し返されまいと力を込めると、向こうも一歩も引かずに押し返してくる。なかなか崩れない障害だ。崩せないどころか、逆に跳ね返されそうな強固な壁だ。がむしゃらに押してもびくともしない。ともすれば力が抜けそうな腕を鞭打ち、殊更に力を込める。
 噛み合う白刃が火花を散らす。
 限界に挑む紙一重の緊張感が、ぞくぞくと背筋を痺れさせる。

 ――快い。

 何もかも焼き尽くす衝動。
 全身の血が沸き立つような快感。
 全力を尽くすことができるという歓喜が、腹の奥底を滾らせる。まだだ、幸村はまだ上に行ける。力を出せる。
 熱い。まるで炎に包まれているようだ。視界で朱が踊る。揺らめく朱の絹とは全く対照的な青が、鮮やかな色に包まれて群青に色を変える。緊張は陶酔へと形を変え、くらくらと熱に酔ったような感覚に凶暴な衝動が突き上げる。
 楽しい。
 ずっと戦っていたい。
 もっと熱くなれ。
 焼き払え、
 焼き払え!

“――旦那っ、よしな!“
「Shit!!」

 不意に耳に響いた声に、酩酊から醒めた。その瞬間槍を弾かれて、今まで両腕を押し返していた手応えが失せていた。身を包む炎の余韻に荒い息を吐く。悪態とは別の、何かひどく慣れた声だった。思わず声の主を探す。と。

「よそ見してんじゃねぇっ!」
 怒声に弾かれて振り返る。その時初めて男の顔を見た。目が合った。息をのむ。今にも振り下ろされようとする三爪が白く光り、幸村の目を刺す。まるで虎の爪、いや、それよりも、


 ――竜だ。


 身を裂かれるのは分かっていても、動くことができなかった。合った目を逸らすことを忘れた。圧倒的な存在の前、一つしかない眼の鋭い眼光に射すくめられて、そこに宿る光に引き込まれて自分のおかれた状況さえ頭から飛び去った。
 青い竜の化身だ。振るう刀は全てを切り裂く竜の爪だ。爪を振り下ろす瞬間、男の顔に笑みが浮かぶ。勝利を確信した会心の笑み。血塗れた頬にさも楽しげな、凄艶な笑顔。戦場でこのような笑顔に見えようとは、思ってもいなかった。

 青い竜に占められた視界が、突然黒に切り替わる。
 強張った体がふわりと浮いて、気がつけばなぜか高い位置から今まで戦っていた相手を見下ろしていた。手についたものに掴まり上体を支え、竜を見る。生き生きと躍動し、猛る嵐のように六爪を振るっていた青い竜は、じっとこちらを見返してくるだけだ。幸村の目を攫った瞳がまっすぐにこちらを見つめている。
 牙を剥き合った者同士の思いもかけぬ休閑。水を差された真剣勝負。妙に冷えた空気が互いの間に流れる。

 試合の再開はなかった。かつてない興奮と熱を掻き立てた青い竜が、急速に遠ざかっていく。その姿はあっという間に茂みの合間に消えた。永遠にすら思われた満ち足りた時は、過ぎてしまえば泡沫の夢のようだ。連れ去られるのに、抵抗はしなかった。己を抱きあげる気配があまりにも慣れ親しんだものだったから、逆らうことを思いつかなかったのだ。
 何もかもが茫漠として曖昧な戦場の記憶で、刃を合わせたあの蒼だけが、鮮烈に目の裏に焼き付いていた。




 品書 



鮮烈な蒼に魅入られた。