退屈は嫌いだ。余計なことを考えさせられる。





 大将が本陣を動いてはならない。そう諌められて政宗は、渋々ながら陣内にとどまっていた。前の戦では馬を駆り、敵本陣に乗り込んで大将首を上げたのだが、それがたいそう家臣たちの肝を冷やしたらしく、今回は陣内から一歩も出してもらえない。
 確かに、少し無茶をした自覚はあった。兵も率いず、単騎で敵のさなかに突入したのだ。後で聞いたところによると、「討たれなかったのが奇跡」だそうだ。だが政宗はそうは思わない。どいつもこいつも腑抜けばかり、遠巻きに槍を向けては来るものの、政宗とまともに切り結べる相手は一人としていなかった。勝って当たり前の、退屈でつまらない戦。
 今も伝令兵はひっきりなしに戦況を送ってくるが、もっぱら聞くのは補佐の者だけで、政宗まで情報は届かない。政宗は手持ち無沙汰に頬杖をつき、忙しなく走り回る兵たちの動きを目で追っていた。総大将だというのに完全に蚊帳の外に出されている。これこそあるまじき状態だろうと思うのだが、文句も言わず脱走もせずに大人しくしているのは、前回は自分にも非があったという後ろめたさが多少はあったからだ。
 だが、政宗は舌を打つ。
 退屈だ。地と悲鳴に溢れた戦場が欲しくてたまらない。魂の沸き立つ、生と死の瀬戸際のスリルが必要なのだ。全てを忘れ、この鬱屈した気分を晴らしてくれるのは、戦場しかないのだ。
「伝令、伝令!」
 駆け込んできた伝令兵の悲鳴のような声に、戦況はよくないらしいと想像する。自分が出ればすぐに片がつくだろうに――口に出せば、油断召さるなとすかさず右目に諌められるだろうが。

 遠くで聞こえていた喊声がにわかに近くなった。喧騒が陣幕のすぐ外まで迫り、蒼い目隠しを切り裂いて飛び出してきたのは、


 ――紅。


 炎が飛び込んできたのかと思った。
 誰が間に入る間もなく、一跳びに飛びかかってきた男の身を包むのは鮮やかな赤。咄嗟に刃を抜いた。朱槍の一撃を受ける。凄まじい衝撃。受けた腕が痺れる。反撃に先んじて赤い男が弾かれるように飛びのく。
 政宗から距離を取った、炎の玉の中の二つの目がこちらに向けられ、ぞくり、震えが走った。

「御大将とお見受けいたす」
 火色の獣が口をきいた。
「御首、頂戴つかまつる!」

 答える間もなく、再び爪が迫る。突く、ではなく叩きつけるような槍の一撃を、鍔下で受け止める。得物を取り落としそうになるほどの衝撃。ちっと舌打ちを一つし、腕に力を込める。
「名乗りもしねえとは、ずいぶん行儀が悪いお客さんだな?」
 わざと揶揄するように、笑みに乗せて囁く。相手は答えない。ガチガチと、噛み合った刃が耳障りな音を立てる。押し返そうとぐっと腕に力を込めると、一瞬先に相手の方が刃を撥ね付けて飛び退いた。手に痺れが残る。
 だがそんなことに構っている暇はない。間髪いれずに再び突進してくる。
「ぅるぁあっ!」
 咆哮とともに繰り出される槍を何とか受け流す。一本では間に合わない。槍を受ける合間に刀に手を伸ばそうとするのだが、その隙を与えてくれない。肩に、腹に、腕に、貫こうと突き出される槍の切っ先を紙一重で弾き返す。一本を返せばもう一本が目の前に迫る。舌打ち交じりに身を反らせ、頬を浅く切った槍を見送った。
 赤く汚れた刃が銀に光り、背筋が薄ら寒くなる。同時に湧き上がる。強い興奮。
「上等……っ!」
 体のばねを使って反らした体をそのままひねり、抜きざまに鋭く斬りつける。硬い手応え。
 政宗の斬戟を受けた男が、勢いに乗って飛び退く。獣のような瞬発力。二つの槍を持つ腕はだらりと垂れさがり、まるで型がなっていない。だが、はめる必要はないのだ。野の獣が己の牙を使うのに、はめる型などあろうものか。
 簡単に倒れない。ぞくり、と驚喜が戦慄となって全身を震わせる。

「政宗様!」
「邪魔すんな!!」

 加勢しようと刀を抜く面々にかみつくように釘を刺した。怒鳴りつけられた家臣たちは、剣幕に躊躇ったように刀を抜きかけたまま立ち止まる。それでいい。こいつは、俺の獲物だ。
 自然と、口の端がつりあがる。久々にまともに剣を合わせられる相手に出会えたことの喜び。長いこと忘れていた、薄い刃の上に命をかける瀬戸際のスリルと興奮。
 視界に入るのはただ一人。戦場で目立つ真っ赤な衣を身に着け、獣のように目をぎらつかせてこちらを窺う一人の男だけだ。血濡れの牙を剥き出しにして、今にも飛び掛らんとする凶暴な猛獣。対峙しているだけで、殺気のこもった視線に殺されそうだ。

 ぞくり。

 物も言わずに地を蹴り、刀を振りかざし、相手に叩きつける。それを防ぐ硬い手ごたえ。構わず開いた腹に突き立てようとすると、これも長槍の柄にぶち当たり、肌を切り裂くことはない。何度も剣戟が響く。刹那の火花が散っては消える。
 ガギン、刃が噛み合い、力が均衡した。互いに全力、それなのに力が完全に互角であるせいで、噛み合った刀と槍は全く動かない。弾くこともできぬ、下手に引けば吹き飛ばされる。動くことができず、白刃が細かく震えて白い火花を散らす。
 刀と槍が交差した向こうには、泥と血で真っ黒に汚れた男の顔がある。犬歯を剥き、眼ばかりがぎらぎらとしている。
「……くっ……!」
 筋肉が悲鳴を上げる。噴出した汗が顎を伝う。これは久々にピンチかもしれない。しかし牙を剥く紅い獣はまだまだ力を込めてくるようで、こいつの力は無尽蔵かと疑いたくなる。
 刀を持つ手が熱い。顔に熱気が吹き付け、男の髪がぶわりと広がる。その顔に橙の陰影をつけるのは――炎。

(なん、だと……!?)
 真っ赤な鎧を一層紅く染め上げて、渦巻く炎は瞬く間に政宗の刀に燃え移る。息をするとひどい熱が肺を焼く。
 触れるもの全てを焼き尽くす灼熱とは裏腹に、二人を包もうとする炎はまるで、橙の絹か何かのように柔らかく、音もなく。滅びと破壊をもたらすものとは思えぬ穏やかさ。
 思わず息をするのも忘れて見入る。
 炎が――全身を包み込み――

 刹那。

「――っShit!!」
 力いっぱい悪態をつき、政宗は渾身の力で男の槍を跳ね除けた。ずいぶん長いこと続いていたように思われる、力の均衡が崩れる。
 息苦しいほどの熱から開放され、冷たい空気を胸いっぱいに取り込む。焦げた上着が煙を上げ、焦げ臭い匂いがあたりに漂う。燃えるに至らなかったのは、特殊な加工をされていたおかげだ。政宗が使う「力」に耐えうる耐熱加工。この男は、炎を使うらしい。
 喘ぎながら男を見ると、槍の穂先に火を残して、同じように肩で息をしている。その残り火も、すぐに消えた。
 そして、不意に男は政宗より他のものに興味を惹かれたように別の方を向いた。たった今まで最高の興奮の中にいたというのに、あからさまに他のものに目を向けられては興醒めだ。ふざけんな。熱が残る刀を握りなおし、地を蹴る。
「よそ見してんじゃねぇっ!」
 はっとしたように振り返るが、遅い。驚愕に見開かれた瞳が、多分はじめて政宗を見た。視線がかち合う。最期の瞬間、政宗の姿をその網膜に焼き付ける。

 ――勝った!

 勝利の確信に笑みが浮かんだ。振り上げた爪を肩口めがけて振り下ろす。そうして、最期に自分を映したまま散るのだ!

 突然目の前に割り込んできた黒い影が、政宗の刀を弾き飛ばした。それが何だか分からぬうちに針のようなものを投げつけられ、政宗がそれをもう一方の刀で防いでいる隙に、そいつは突風のように去っていく。肩に、今まで戦っていた男を抱え上げて。
 そいつの全容はよく分からなかった。くすんだ森の色は背景に溶けてしまい、対照的な赤だけがはっきりと眼に映った。乱入者の肩に担ぎ上げられた男は、顔を上げてまっすぐに政宗を見ている。仕留め損ねた、と気付いたのはそのときだ。しかし突然の乱入に思考が麻痺してしまったのか、口惜しさは感じなかった。
 あの男が俺を見ている。
 その視線に魅入られたように、馬鹿のように突っ立って、ただ見つめ返すことしかできなかった。急速に、抱えあげられた赤が遠ざかる。

 逃げられる。

「! 待っ」
 皆まで言わせず、黒い風を巻き上げて消えた。忍の術か、あとに残ったのは黒い羽だけだ。
 逃げられた。だが、気分は悪くない。仕留め損ねた口惜しさ、興奮が遠ざかったむなしさ、しかしそれ以上の、再び剣を交える時への期待。

「お前の首を取るのは、伊達政宗だ! 覚えておけ!!」

 敵が去ったあとに向かって叫んだ声が届いたかは定かではない。しかし叫んでから無性に愉快な気分になり、そのまま大声をあげて笑った。こんなに笑ったのは初めてだ。こんなに楽しいのは、全く初めてだ。
 あの男、結局名乗らなかった。だがまあいい、いずれまた会うことになる。そのときこそ決着をつけてやる。
 邪魔が入ったことなどは、もう気にもならなかった。またあの男と刃を交えることができると思うだけで、胸が高鳴る。

 そのときが楽しみだ。




  品書 



出会いは戦場。