それこそ物心がつくかつかないかという頃からの付き合いだから、お互いの考えることはだいたい分かるし、今更妙な気をつかう必要もない。

 しかし、子ども同士の仲がよければ自然と互いの親との距離も近くなるもの。付き合いが始まった時期が早いほど、後々になって何かと不便がでてくる、らしい。少なくとも、幼馴染の佐助にとっては、近頃幸村の母親と顔を合わせるのが少々苦痛らしかった。幸村の親に対しては愛想良く応じるが、自分の親にはあからさまにとげとげしい。だが2人でいる時は楽しげにしているから、普段は気にしたこともなかった。


 試験期間中は午前中で学校は終わりだ。本来勉強にあてるべき時間だが、時間があれば遊びたくなるのは学生の性というもの。
 一緒に勉強するという名目で幼馴染宅に上がりこんだ幸村は、佐助の部屋に入るなりまるで自分の部屋のようにベッドにぼすんと飛び込んだ。今朝起きたままらしいぐちゃぐちゃの毛布に寝そべって、慣れ親しんだにおいの枕に顔を埋める。

「佐助のにおいだ」
「そう」
「落ち着く」
「そりゃよかった」
 高校生男子の交わす会話としてどうかというものがあるが、気にする者はいない。
 佐助は幸村が枕にじゃれついている間に一度部屋を出ていき、ジュースと菓子の乗った盆を手に戻ってきた。
 扉越しになにやら言い争うような声が聞こえて、幸村はまだ枕を抱きしめたまま首をねじって振り返った。佐助は「絶対入ってくんなよ!」という感じのことを言っていたと思うと、乱暴に戸を閉めた。幸村が見ているのに気付くと、ほとほと参ったという感じの笑みを向ける。

「うちのお袋、いまだに旦那のことゆきちゃんって言うんだぜ」
 もう幼稚園児じゃないっての、と口を尖らす佐助に、幸村はようやく体を起して枕を元の位置に戻した。

 近頃、佐助は互いの親に昔のあだ名で呼ばれるのをひどく嫌っているようだ。確かに、幸村も今更「ゆきちゃん」などと呼ばれれば恥ずかしいし、同級生などがふざけて呼ぼうものなら人によっては衝動的に殴り飛ばしてしまうかもしれない。しかし昔から顔見知りで自分の親と同じくらい親しい大人には、いつまで経ってもそう呼ばれるのは仕方のないことだとも思っている。

「うちでもお前が話題に上る時はいまだにさっちゃんだぞ」
 うえ、勘弁してくれよ、と佐助は大仰に顔を顰めた。
 そういう幸村は昔から変わらず「佐助」呼びだ。佐助に言わせればどう頑張っても「さしゅけ」としか聞こえない発音をしていたらしいが、言われるような覚えは幸村にはない。

 菓子に手を伸ばすと、ベッドの上で食べちゃダメと取り上げられた。大人しくカーペットの上におりてよこせとばかり両手を出すと、目の前に器が置かれる。
「なんで昔みたいに呼ばなくなったんだ?」
 さっそく菓子にぱくつきながら思いついて問うと、佐助はちょっと肩をすくめた。

「なんでって、いい年した男が幼稚園の時のあだ名で呼び合ってるなんて、さぶいって」
「おれは気にしないが」
「駄目駄目、伊達とちかべがまーくん、ちかちゃんって呼び合ってるようなもんだぜ?」
「……それは確かに薄ら寒いな」

 想像して本当に背筋に怖気が走った。
 だろー? したり顔で頷いて、佐助も一口二口スナックををつまむ。幸村は結構なペースでおやつを頬張りながら、また首を傾げた。
「しかし、なぜ名字にしなかったんだ?」
 旦那、なんて妙な呼び方をするのは佐助くらいだ。佐助は今度は手を止めた。ちょっと視線を上に向けて、理由を考えているようだ。
「名字だとなんか距離感があるじゃない」
「そうか?」
 たいていの友達は名字で呼ぶし、それに距離を感じたことはないのだが、佐助は気に入らないらしい。ようわからん、とぼやいて、幸村はジュースに手を伸ばした。佐助は濡らしたタオルで手を拭くと、ぱん、と景気よく手を打った。

「はい、腹ごしらえしたところで、ゲームやるかDVD見るか勉強するか三択ー。外に行くのはナシね、勉強って名目なんだから」
「DVDが見たい、前見かけだったやつ気になる」
「じゃあ流しながら勉強しようか」

 佐助はできるはずのないことをさらりとのたまって、見覚えのあるパッケージを引っ張り出してきた。幸村も一応持ってきた明日の試験科目の問題集を広げて待つ。佐助は大したことのない話題は打ち切っても、さらさら勉強する気はないらしい。やはりよく分かっている。
 幸村はDVDをセットする佐助の背中ににやりとした。まこと、実の兄よりも甘えやすい。
 幼馴染にやたらと世話を焼かせるせいで、佐助が一部からは「真田のオカン」と呼ばれているのを知らぬのは、流言にとことん鈍い真田の旦那ばかりなのだった。





 目に入った時計は5時を回っていた。見間違えかと目をこする。しかしよくやる長針と短針の見間違えではなく、数字の読み違えでもなく、時計は間違いなく帰るべき時間がきたのを示していた。
 幸村の開きっぱなしの問題集は初めた時からほとんど変わらず、ほぼ白紙のままだ。まあ、元々勉強というのは名目に過ぎなかったのだが、同時に始めた佐助が何ページも先まで進んでいるのを見ると、出遅れたような気分になる。佐助だって一緒になって見ていたはずなのに、この進み方の差が理解できない。
 何にしろ、こんな時間になってしまってはこれから解き始めるわけにもいかない。佐助は幸村が時計を気にしたところで気付いていたらしい。そろそろ帰る? と話を振られて、頷く。幸村は問題集を閉じながら、黒く埋まった佐助のノートを横目で睨んだ。

「何を着々と解き進めとる」
「えー、だって勉強しに来たんでしょ」
「裏切り者め!」
「いや、なんで!?」

 腹いせに半分ほど残っていた佐助の飲み物を一気飲みしてやった。氷までがりがりと食べてしまえば、口の中も頭も冷える。呆れて突っ込みもない佐助を気にせず、何げなく暗くなってきた外に目をやると、窓ガラスが最初の雨滴に濡れていた。

 見た時はまだぱらぱらと小降りだったから今しばらくもつかと思ったのだが、急いで荷物をまとめているうちに雨脚は強くなり、あっという間にバケツをひっくり返したような大雨になってしまった。来る時に降っていなかったから当然傘など持っていない。この降り方ならすぐに止みそうではあったが、これ以上1分でも遅くなるのはまずいのだ。
 帰れる帰れないは別としてもとりあえず玄関まで下りると、他の数本の傘と一緒に見覚えのある赤い折りたたみが置いてあるのが目に入った。この間佐助に貸したやつだ。ちょうどいい、自分の傘で帰ろうと思って小さな折り畳みに手を伸ばすと、止められた。
「この雨じゃ、折りたたみじゃあ間に合わないよ。こっち使いなよ」
 そう言って、大人の男が使うような大きな濃緑の傘を差し出される。幸村は、手にした小ぶりの折りたたみ傘と、佐助が差し出す立派な大傘を見比べた。せっかく自分のがあるのに、敢えて人のを借りていくのもややこしい気がする。だが、確かにこの雨の中、雨よけに自分の傘では心もとない。

「どうせ傘使うなら、濡れない方がいいでしょ」
 と、半ば無理やり自分の傘を取り上げられ、大きな傘を押し付けられて、心は決まった。時間が迫っている。
 幸村はろくな挨拶もせず、佐助の傘をさして大雨の中に飛び出した。また明日、という声が背中にかかった気がしたのに、振り向かないまま片手をあげて応じた。

 走ってしまっては元も子もないのだが、自分の傘よりは多少、雨粒を防いでくれているようだと、暗い傘の裏を見て走りながら思った。




 品書



青=緑 の解釈で。
反抗期さすけ。ネタ詰め込み過ぎた