*佐助が片思い。苦手な方はご注意を。





 はじめにあったのは、刹那の静寂の中の目を刺す真っ白な光だけだった。遅れて轟音が衝撃となって全身に叩きつけ、そのときにはもう崩れる瓦礫の中に飛び込んでいた。
 主が待ち望んでいた独眼竜との決戦の決着は、まだついていなかった。

「独眼竜うぅッ! まだだ、っぁぐ、まだぁっがぁああっぁあああっ!!」

 血を噴き出す右腕を振り回しながら狂ったように喚き叫ぶ主を渾身の力で抱きかかえて、佐助は飛んだ。戦場のどこにいても聞こえるような大音声が耳元で喚き散らしても、妙に曇ったような音しか聞こえない。だが、気に留めている暇はない。振り返らなかった。一緒に飛び込んだ右目の旦那がどうなっていようと、知ったことじゃない。主の血が忍装束の背をしとどに濡らす。
 ずたずたになった腕は、どうやっても元通りには直らないとみえた。放っておけば傷から腐って全身に毒がまわる。槍の腕と主の命をはかりにかけて、佐助は主の腕を肘から切り落とした。
 痛みを和らげる薬を飲ませる余裕もなく、生きながら骨を断たれる地獄の苦しみに、主は舌をかまぬように口に詰めた布に血と涎を滲ませ、声にならぬ叫びをあげて全身で暴れ狂うた。このくらいで気触れに落ちるような軟弱な精神ではないと信じてはいたが、このせいで狂い死んだら、自分もすぐに後を追う。そうならなくても、しかるべき処分は受けよう。

 命を拾って戦地を逃れ、どうにか陣まで帰りついたとき、佐助の耳はほとんど聞こえなくなっていた。
 更に何日か後、屋敷の布団の上で目を覚ました幸村は、起き上がろうとしてもんどりうった。

「さすけ、おれの、うではどこだ」

 途切れた肘の先を不思議そうに眺める主は、まるで気触れのようだった。



 忍には、耳が使えなくとも日常生活を送る分には何ら問題はない。顔を合わせていれば会話も普通にできる。だから佐助は当然の顔をして、何くれと動けない幸村の世話を焼いた。
 一人で起きていられなかった彼のために、抱きかかえて上体を起こしてやった。椀を持てないので、食事の時はつきっきりで飯を口に運んでやった。腕がうずくとぐずって泣けば、落ち着くまで傍で宥め続けた。
 けれど佐助がいくら心を尽くして世話をしても、幸村はなかなか復さなかった。
 幸村は、しょっちゅう佐助に腕はどこだと聞いた。失くした腕ばかり探している。牙を失った虎の若子は、まるで魂の抜け殻だ。命は取り留めたけれど、現を見ていない。いつだって全力で現実に立ち向かっていたはずの姿が消えてしまうのは、耐えがたかった。だから、告げるつもりのなかったことを口にしてしまった。

「伊達政宗は、生きてるよ」

 たった一言。
 それを聞いた瞬間、幸村の目に生気が戻った。

 それからというもの、幸村は必死で起き上がる訓練を始めた。一人でまっすぐに座ることから始め、傾く体を支え、一人で立ち上がることも必死になって練習した。さすがに許さなかったが、幸村はしきりに馬に跨りたがった。早く奥州に行きたいと、伊達政宗に会いたいと急いた気持ちがありありと見て取れた。
 その姿を見て佐助はほっとすると同時に、どこか落胆した。いくら佐助が寄り添い励ましても届かなかった場所に、独眼竜はその名だけで踏みこんでいく。
 生きている、とは伝えても、まだ言っていないことがあった。忍が素早く助けだした幸村でさえ腕を失うほどの事故があった場所で、独眼竜が無事で済むはずがない。龍は両目を失った。再会して、盲の姿を見て幻滅してしまえばいい。
 幸村の求める美しい独眼の龍は、もういないのだ。


 それで独眼竜との腐れ縁が切れると思っていた。念願叶いやってきた伊達の城中で、幸村が不意にとんでもないことを言い出すまで。
 さすけ、と僅かに唇が動いたのを読み取って、なあにと返した時だった。

「隠さずともよい。ほとんど聞こえておらぬのだろう」

 いないときに呼んでも来ぬから、割にすぐわかった。何でもないことのように、笑みさえ浮かべて言う幸村に、すぐに言葉を返せなかった。見抜かれていた衝撃が過ぎれば、次に急に不安に襲われる。
 だが佐助が考えた咎めはなく、呼びに来た右眼に連れられて、最近ようやく佐助の助けなしに立てるようになった足で従って続きの間に向かっていった。


 幸村には本当は、佐助が思っていたよりもずっと現実が見えていたのかもしれない。
 伊達政宗も五体満足ではないと予想がついていたのかもしれない。けれど幾度も見え刃を合わせたあの独眼竜だけは、いくら見えていても理解していても、それを超えて求めずにいられない。そこに、きっと理由などないのだ。
 どんな姿になっても、旦那は受け入れてしまうのだろう。絶望的なほど確かな予感だった。牙を合わせるだけのはずだった相手に、その牙が折れてもここまで会いにきたのだから。
 耳のない忍には、襖の向こうに聞き耳を立てることはできない。


 ほどなく、役目を終えて追い出されたか、右目の旦那が戻ってくる。丁寧に襖を閉めて振り返り、あからさまに眉を顰めた。
「物騒な空気醸してんじゃねえ」
「悪いね。俺今、アンタの主だけが死ねばよかったのにって、考えてた」

 全く悪いと思っていないのが丸わかりのまま、繕いもせず言えば、男は真新しい顔の傷を歪めて笑った。

「安心しな。俺もだ」





 何を失っても、龍の右目は龍の命がある限りは生きていくのだろう。目指すところなどなくとも、盲になっても、奥州の主は途方もなく大きなものを抱えて、漠然としてはいるが大切なもののために何かしらやっていくはずだ。
 だが、己の主はどうなのだろう。戦場に生きてきた彼も、それに従って戦ってきた自分も、刃をふるうことが全てだった。一度折れた牙を補おうとしてみた。しかし、牙を失った虎は、その姿のまま生きていけるのだろうか。

 紅蓮の鬼は死んだのだ。

 たとえ傷をなめあうだけの関係になり下がっても、幸村の眼はきっと真っ直ぐに蒼い竜だけを見据えている。独眼竜が命を落としていたとしても、幸村はその影を追い続けているのだろう。
 そのまなざしは、佐助がどれだけ手を伸ばしたところで決して掴めない。

 虎の屍ですら手に入れたいと思っていた自分も、大概劣らず滑稽だ。攣れたような傷の増えた男の顔を眺めながら、佐助も口を歪めて嗤った。




 品書



旦那が見てるのは、蒼い竜だけ。

佐幸サイトなのに横恋慕佐助。(スライディング土下座) 無為で無益なのは分かってるけど、その欠片でさえ手に入れたいと願う。