政宗は、翌日の昼過ぎに手土産を片手にやってきた。
一見してそれなりの店の物だと分かる清楚な白い箱は、受け取ると予想通りの僅かな重みを手に伝える。佐助と一緒に出迎えた幸村がしっかりと腕に赤子を抱いているのを見て、政宗はちょっと意外そうに片眉を上げた。
「梵はどうしてた? いい子にしてたか?」
「まあいろいろやらかしてはくれたけど、赤子のやることとしては普通じゃない? あ、梵ちゃん立てるようになったよ。つかまり立ち」
「Oh my...! マジか! うっわ見たかった!」
ちょっと目を離すとすぐに大きくなっちまうんだもんな、口ぶりは残念そうではあるが、浮かぶ表情は紛れもなく我が子の成長を喜ぶ親の物だ。
和やかに会話する佐助と政宗の脇で、幸村は終始無言だった。土産のケーキに僅かに表情が緩んだが、手放しで大喜びする風はない。
「じゃ、そろそろ。急に押し付けて悪かったな」
Come on,boy、流暢な発音で幸村の腕で寛いでいるのをあやしつつ、細腕が赤子を抱き取る。さすがに手慣れたもので、赤子がむずがる様子はない。自分もだいぶうまく扱えるようになったと思っていたが、やはり政宗には敵わない。耳に慣れない言葉であやす姿は学生時代よくつるんで遊んだ男勝りの友人ではなく、立派なひとりの母親だった。
「旦那、寂しそうじゃない」
「……そのようなことは」
「もー無理しちゃって。そんなに寂しいなら、伊達ちゃんと結婚したら?」
そうすれば父上って呼ばせても問題ないし、と佐助はにんまり笑う。幸村を一人置いてけぼりにしたまま、隣で政宗もそれは妙案だとでも言うような声を上げる。
「お前がhusbandに? Humm、悪くねえかもな。なぁ、darling?」
冗談めかして言いながら、艶やかにしなだれかかる。意地の悪い笑みも妖艶だ。
ぞぞぞぞぞ。
幸村の背に、言い知れぬ怖気が走った。
「ちょ、てめぇ、何鳥肌立ててやがる!」
「すまぬ、すまぬが、気色が悪ぅござる!」
がしがしと総毛立った首筋をかきむしる。
ladyに向かってなんって恥知らずな野郎だ、と政宗は立腹だが、仕方がない。幸村の中で政宗は女性というより男友達の感覚に近いのだ。それを言えば、尚悪いと今度こそ殴られるのは体験済みなので口にはしないが。そんな幸村だからこそ政宗も気楽に付き合えているということは、本人には知りえぬことだ。
まったく、と身を離そうとしたそのとき、何か小さな力が2人をつなぎとめた。赤子が政宗の腕に抱かれながら手を伸ばし、幸村の着物の衿を掴んでいる。大人たちの会話を聞いていたのかいないのか、ややは両手で衿にしがみついて政宗と幸村を再びくっつけた。そして。
「ちゅ、きっ」
す、き。
いつも意味のない音ばかり発していた声が、初めて僅かに意味のとれる発音をした。
その瞬間、喉に込み上げたものの熱さといったらない。声にならない音が喉から絞り出される。不審げな顔をしている政宗の脇から、佐助が「旦那、旦那、落ち着いて」と宥めているのは耳に入ったが、どうにもならなかった。
「真田?」
「あ、ぅ、や……何やら、感極まっ……」
言いきる前に涙腺が限界を迎えた。服の袖を握る小さな手のいたいけさ。甘く優しい乳の匂いのする、柔らかい存在の愛しいこと。そんな貴い存在が、出来心に教えた言葉を最後にくれるとは夢にも思っていなかった。衝動に突き動かされるまま、衿を掴む赤子を政宗ごと抱きしめる。
「だでぇぇえっ、まこと、まっごどよきお子でござるぁぁああっ」
「はァ!? あ、あはっははは! おめー、学生ん時から変わってねえな、その不細工な泣きっ面!」
突然抱きしめられた政宗は、嫌がるでもなく大笑いしながら幸村の頭をぐちゃぐちゃとかき混ぜる。そして、今の幸村よりもはるかに男前な笑みを浮かべた。
「これくらいで感動して泣き崩れてちゃ、やっていけないぜ。なんせこいつはこれからもっともっと、奇跡みてぇな成長を見せてくれるんだからな」
「伊達……!」
感服でござる……! とやたら目を輝かせるが、顔面は涙も鼻水も垂れ放題、幼稚園児と大差ない。顔拭きなさいみっともない、と佐助がティッシュを投げ付けた。大人の隙間で潰されたややが、何とも言えないおやじくさいうめき声を上げたのに、皆でひとしきり笑った。
「また連れて遊びに来るからな」
「うん、是非に」
政宗は赤子を抱いて、またな、と一度だけかえりみると、あとはもう来た時と同じように、振り返ることなく颯爽と去っていった。後には、この1週間の騒々しさが嘘のような静寂しか残らない。
旦那、と佐助はいつまでも2人の行き先を眺めている幸村に声をかけた。
「意地悪言うわけじゃないけど。次に会っても、あの子、俺たちのこと覚えてないと思うよ」
「……、そうか」
冷静な返答が予想外だったのか、佐助はちょっと意外そうな顔をした。物心の付かぬややこの記憶がどういうものかは、幸村にとて何となくは分かる。今の赤子にとっては一週間は長いものだっただろうが、この先何か月、何年と経てば、この家で過ごした時間は本当に短いものでしかない。忘れてしまうのは仕方がない。
「構わぬ。おれが覚えておればよいだけのことだ」
赤子が忘れても、この胸に残っていれば記憶は消えない。それに、あの感動はそうそう忘れえぬもの。それはそれで嫌がられそうだけどなぁ、と佐助はぼやいたが、それがなんだと胸を張った。
次にうちに来た時は、遊んで構い倒してやろう。次に会う時には、物につかまらずに歩けるようになっているだろうか。考えるだけで胸がほわりと温まる気がする。
うきうきとそんなことを考えながら、この1週間溜めに溜めた仕事を片付けるべく、何日かぶりに書斎に足を向けるのだった。
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男親の方が可愛いものには弱いと思うんだ。
差し当たり書きたかったネタは消化しました。お付き合いいただいた方、ありがとうございました。