大寒の厳しい寒さの中、佐助は忍び装束をまとい、木の上を飛ぶように走る。闇に浮かび上がる雪の上に足跡一つ残さない。忍が揺らした枝からこそげ落ちた雪だけが、僅かな痕跡を残した。
日が暮れて、浮足立っている主を寝かしつけてから出てきたが、佐助の足なら暗いうちに伊達の居城に辿り着けると踏んでいた。読み通り、東の空が白むより早く、闇の中に城の影がぼんやりと見えてきていた。
明日、武田は祭だ。
熱血ぞろいの武田軍は祭りが大好きで、事あるごとに馬鹿騒ぎをやりたがる。大将があれだからとどまるところを知らず、真田の旦那もそれはそれは楽しみにしている。
そんな時だ、伊達領で不穏な動きがあるとの報告が入ったのは。
雪深い奥州のこと、冬の間は動くことはないだろうと踏んでいたのだが、どうやら読みが甘かったらしい。血気盛んな独眼竜が、大人しく城にこもっているわけがなかった。というて、すぐに攻めてくるわけもなし、放っておいても良かったはずだ。
なのにこの寒い中、単身偵察に出たのは、せっかく主が楽しみにしている祭りを万に一つにも邪魔される可能性があるのが許せなかったからだ。
っていうかこれ以上の面倒はご免こうむりたい。
先手を打って偵察に来るなんて俺様働き者だよね、と胸の内で自分を称えながら、身のこなしには僅かの油断もない。とりあえず、近く出征があるか否かさえ分かれば上々だ。それ以上は余裕があればというところか。
道のない林の中、足を緩めずに枝から枝へ走り続ける中、すぐ傍の木立の向こうに動く気配を感じ、佐助ははっと息を止めた。
人の気配だ。耳を澄ます。かすかに滑車が軋む音。男の声も聞こえる。
数ははっきりしない。音を消して声の方に近づくと、はたして、そこだけ踏み荒らされた雪の中、何人もの男たちがせわしなく走り回っていた。重そうな音がするから、武装しているらしいのが分かる。近くには小さめの荷車が数台止めてあり、どれも荷物が山と積まれている。
辺りはまだ只人が活動するにはいささか暗い。にもかかわらず、佐助の前の一団は灯りの一つも焚いていなかった。
こんな刻限にこんな場所で、そのうえ武装しているとなれば捨て置けぬ。幸いこのあたりの木は葉を落とすことなく、枝を揺らさないように注意しさえすれば十分身を隠す場所があった。佐助はよさそうな枝に足をのせて声のする方を窺う。
「弾薬は十分に用意できてるんだろうな」
「はいっ、準備万端っす」
いかにも物騒な会話に、佐助は一言一句聞き漏らすまいと耳を研ぎ澄ませた。弾というからには鉄砲があるに違いない。あの荷車の中のどれか、あるいは全てがそうだろうか。
彼らはどうやら武人のようだが、この暗さでは鎧の色も判別できず、何処の軍かもわからない。有り得そうなのは伊達軍下の者たちが密かに仕入れた銃器を城に運ぶ途中か、あるいは出征の準備をしているかだが、いずれにせよ火器を運んでいるなどあまり穏やかな話ではない。
「小十郎様、アレはもう装備しといたほうがいいんスかね?」
「いや、夜が更けてからでいい。こんな暗闇であんなものを着けたら、戦が始まる前に怪我をするぜ」
小十郎? 竜の右目が、なぜここに。
予想外の人物の登場と、戦という単語に佐助は眉を顰めた。これで奴らが伊達軍であることは割れたが、小十郎ほどの重臣がなぜこんな場に出ているのかが解せない。
まさか、本当にすぐにでも出陣する気だろうか。
不穏な動きがあるとは聞いていたが、ここまで差し迫った状況だとは思っていなかった。
見たところ少数で、正面からぶつかるというよりは奇襲を狙いとしているようだが、いったいどこに仕掛けるつもりなのか。隣国を順に思い浮かべるが、どこも夜明けに奇襲するにはここからでは遠すぎる。
一行の狙いが読めず悶々としているところに、車を軋ませながら新しい荷車が黒い塊になって到着した。雪を踏み固めた地面に車が跳ねる度、荷台で何か軽いものがじゃらりと微かな音を立てるのを、忍の鋭い耳が捉え、佐助は小さく舌を打った。
伊達め、いつの間にあれほどの弾薬を蓄えていたのだ。
枝の上で苛々と爪を噛む。伊達が大量の鉄砲を所持していることが分かったのは思わぬ収穫だったが、油断ならないのは変わりない。他国が武具を集めているのを察知できず、妨害が間に合わなかった忍の失態だ。
本当に簡単に動向を探るだけのつもりで出てきたので、ひと暴れできるような装備でもない。
どこに向かうかさえわかれば。辛抱強く兵たちの声に耳を澄ますが、欲しい情報はなかなか出てこない。
もう四半刻もしないうちに夜が明ける。せめて入手経路の手がかりはないかと、見張りが絶えた隙に弾薬を積んだ荷車に忍び寄った。
(……! これは……!)
近くにいると漂ってくる、火薬ではなく何か香ばしい匂い。
あまりのことに立ち尽すと、どこかで法螺が鳴り響いた。姿は見えぬが、割合近くで鬨の声が上がる。白み始めた山際から日がのぞき、にわかにあたりが明るくなる。手元に目を落とし、佐助は思いっきり体の力が抜けるのを感じた。
「てめぇら! 後れをとるんじゃねぇぞ!」
オオ―――!!
小十郎の叱咤に応えて、集まった将兵からざわめきのような喊声が上がった。彼らの目指す先には、主であるはずの伊達政宗の居城が朝日を浴びて立っている。
そして奇妙なことがもう一つ。
城に向かいあう兵達の顔は、一人の例外もなく鬼の面に覆われていた。
赤だの青だの黄色だの、目にも鮮やかな色とりどりの「鬼」たちだ。
こちらの声に答えるように、城の方からも「Yeahhhh!!」と耳覚えのある独特の喊声が響いてくる。早朝だというのにまるで待ちかまえていたかのような反応だ。ひと固まりになって攻め寄せる軍勢に応じるように門が開いたとき、佐助は見てしまった。
門の中からばらばらと走り出てきた兵達の顔には、例外なくおたふくの面がかぶされていた。
(ああ、はいはい、そういうこと)
「弾薬」の正体を知った時から痛み始めていた頭が、更にずきずきと痛みを訴える。部下から報告のあった「不穏な動き」というのは、つまるところ、
武田以上に大がかりな伊達式の「節分行事」であったと――。
佐助は引き攣るこめかみを押さえた。
くっだらねぇ……!!
パパパパパンッ、
様相こそ実戦さながらだが、聞こえてくる破裂音は鬼退治の豆鉄砲。あれのどこが弾薬なのか今すぐ右目の旦那に問い質したい。香ばしい匂いを放つ炒り豆の山に、命をかける緊張感で指を突っ込んだ自分の立場は。
無駄な緊張を強いられたうえ、あまりのばかばかしさにどっと疲れが押し寄せる。
いつものように手綱を握らずに馬に跨り、乱闘の先頭を突っ走る政宗は、顔を覆う面は鬱陶しいのか、一人だけ竜の面を後ろに回して留紐を首にひっかけている。それを見た般若こと小十郎が、鬼のような怒号を上げる。
「政宗様ァア! 総大将が先陣を切ってどうなさるか!」
「固いこと言うなよ小十郎! partyは楽しくやるもんだろ!」
「面をおつけなさい! 弾が目に当たったら危のうございます!!」
ああもういっそ盲になっちまえ。
苛立ちにまかせて胸の内で悪態を吐く。思うだけなら構うまい。頭を抱えて深い溜息をひとつ。駄目だ。怒り続ける気力もわかない。
雪野原で戦遊びに興じる阿呆どもを後目にのろのろと腰を上げる。帰ったらまた武田式豆まきが待っている。
しょうもないことに時間と労力を費やした脱力感と、徹夜明けの重い体を引きずりながら、
佐助は遠い帰路につくのだった。
品書 ≫
武田もだけど伊達もお祭りごとには全力投球しそうだと思いまして。
遊びと見せかけて戦闘訓練にもなっているから、小十郎も本気で取り組むっていう。