*怖い話が苦手な方はご注意!
 またこの話によって起こりうるいかなる被害にも責任は負いかねまするので、ご了承のうえご覧くだされ。

















 夜、布団に横になり、「足もとに青木さん」 と唱える。すると、足もとに男が現れる。
 「枕もとに赤木さん」 と唱える。すると、枕もとに女が現れる。

 青木さんが先に消えたら、翌日は一日鏡を見てはいけない。
 赤木さんが先に消えたら、翌日は一日床に物を落としてはいけない。



 その話を聞いたある人が、その夜布団に横になったときに、ふとそのことを思い出した。無論、ただの噂話と分かってはいたが、思い出してしまえば、どうしても気になる。
(足もとに青木さん)
 確かそんな文言だった、と思い返していると、足もとに誰かいる。ぎょっとしてよくよく見ると、布団に隠れた自分の足もとに男が正座しているのだ。唱えてないのに。思うだけでも駄目なのか!? まさかと思って目をあげてみる。
 いた。枕もとに女。
 二人とも深く俯いていて、顔は見えない。次の瞬間、眼も閉じられない強烈な金縛り。

 ところで、その人は犬を飼っていた。寝る時はいつも布団で一緒に寝ている。助けを求めて横目に犬がいる方を見るが、犬、何とも平和に寝ている。この役立たず! 罵るが、寝ているものは仕方がない。早くどっちか消えてくれ、と思いながら待つ。しかし、2人、なかなか消えない。

 10分経ったか、20分経ったかと思われた頃、変化は突然訪れた。
 かくん、
 深く俯いていた二人の顔が、僅かに上がった。さっきまでは顔がほとんど見えなかったのに、今は僅かに口元が見える。その時、その人の脳裏に、最悪のパターンが過ぎった。もし、どちらも消えずに、2人の顔があってしまったら。
 連れていかれる。
 一度であの角度上がるとしたら、あと3回、いや2回で全部上がりそうだ。犬は相変わらず呑気に寝ている。おいこら起きろこの馬鹿犬! なんとかしやがれ、と思うも、声は出ないし体も動かない。そうしているうちに、再び、かくん と首が上がる。
 やばい。あと一回で全部上がる。こころなし口元が笑っているように見える。
 ひたすら長い膠着した時間がのろのろとすぎる。そうして、ついに、二人の首が動いた。
 か く……

 そのとき、ようやく犬が起きた。犬は唸り声をあげて、枕もとの女に跳びかかった! 首が完全に上がる直前、女はふっとかき消えた。ああよかった、明日は物を床に落とさないようにしよう、とほっとしたのも束の間、はっと気付いた。
 足もとの青木さんが帰ってない。
 恐る恐る見ると、正面を向いてる。そいつ、こっちを見て、世にも恐ろしい形相で、言った。


『足が出てたら殺せたのに』





「〜〜っぉぉおおぅおおっ!!」
「ぉわぁぁあっ!?」

 幸村の突然の絶叫に驚いて、政宗は危うく腰をおろしていた机ごとひっくり返るところだった。
 放課後の教室には2人以外の人影はなく、不吉に赤い西日が窓から射しこんでいる。

「っんだよ真田! 危ねえだろ脅かすな!」
「やでござるぁぁあ!! 伊達は妙に話が上手くてやでござる! まるで頭いいみたいでござる気色悪い!!」
「ぁあ、喧嘩売ってんのかゴラァ!!」

 政宗が凄むのも気に留めず、幸村は両耳にしっかり蓋をして、いやいやというふうに激しくかぶりを振った。
 怪談話など、始めから嫌だったのだ。それなのに、政宗の話しぶりがやたらと上手いから、塞いだ耳の隙間から思わず話の続きに聞き耳を立ててしまったのだ。聞かなければよかった。後悔するも、時すでに遅し。

 話し始めたときよりも日が陰って教室内は薄暗くなっているし、先ほどまでちらほらいたクラスメイトも一人もいなくなっている。見回りの先生の足音さえ聞こえない。ただ静寂が怖くて必死で騒ぎたててみる。しかしそれをすると、逆に静まり返った時の空気が引き立って、ますます怖くなった。政宗は怯える幸村に構わず話を続ける。
「その人は結構な寒がりで、夏でも毛布をしっかりかぶっていないと眠れないような人だった。それで足が隠れてたから命拾いしたんだ。でも、もしちょっとでも足が出てたら。もし犬が襲いかかったのが、足もとの男の方だったら……」
「っぎゃああぁぁぁもうやめてくだされぇぇえ!!」

 ついに喋りつづける政宗に掴みかかった。がくがく揺さぶられながら、政宗はゲラゲラ笑っている。昔から口がうまいのも目新しい情報を持ってくるのは政宗の方で、幸村にとってはありがたくもあったが、たまにこんなネタで人を脅かして喜んでいる節もあった。まだ苦しそうに腹を抱えて笑っているのがその証拠だ。脅かされてばかりでは、面白くない。

「なら、『むらさきかがみ』を知っておるか?」
 笑いがおさまるのを待って、少しばかりの意趣返しのつもりで話を振ると、政宗はまだ笑いを含んだ声で返してきた。
「は? 知らね。あんだそれ」
「これを20歳まで覚えていたら不幸になるのだ」
 どこで聞いたかは覚えていなかった。それよりも早く政宗を脅か返してやりたい気持ちが先走って、前振りをすっとばしてしまったが、聞いた瞬間のほんの一瞬、僅かに政宗の頬が強張った。しかし、それは見間違いではないかというほど僅かな時間で、すぐにいつもの強気の発言が飛び出した。

「は……、ハンッ、意味わかんね。それに、はたちなんてまだまだ先じゃねえか! 忘れるに決まってんだろ!」
「分からぬぞ! 忘れられなんだら、呪われるのだぞ!」
「嘘だねー! そんな脈絡のない話怖くもねえよバーカバーカ!」

 全く怖がる気配がない。それどころか、無礼にも人を馬鹿呼ばわりしてくるから、幸村も意地になる。

「なら、呪いを相殺するまじないは教えてやらぬ!」
「へっ、信じてないし必要ないね!」

 政宗は豪気に笑い飛ばすと、俺帰る! と風のように踵を返した。幸村も薄暗い教室に取り残されまいと慌ててランドセルをひっつかみ、後を追った。





 そんな話をしたからだろうか。いつものように布団に入ったはいいが、なかなか寝付かれない。幸村は薄い掛布の中で、何度も寝返りを打った。足もとになにかいるような気がして、普段はすぐに蹴出てしまう足先もしっかりと布団の中にしまい込む。

『足が出てたら殺せたのに』
 あの話の人は、足が布団の中だったから助かった。なら、もし犬が飛びかかったのが足もとの方だったら? 残ったのが枕もとの方だったら? 頭は出ていたのだ。きっと……

「……っ」
 がばり、と頭から布団をかぶる。考えてはならぬ。考えてしまう前に寝るのだ。まだ夜でも蒸し暑い中、布団などかぶれば暑いし息苦しいが、万に一つ、連れていかれるよりもいい。体を丸めて必死で目を閉じているうち、顔をあげたらそこに何かがいるような気配まで強く感じるようになってくる。
 息苦しくてかなわない、布団をはねのけて確かめればきっと何もいないのはわかっている。しかし、もしという可能性と恐怖が拭えない。

 尖った神経が、何者かが畳を軋ませる音をとらえた。けれど、なぜかそれが更なる恐怖をあおることはなかった。

「ゆき」

 丸まった背を優しい手がするりと撫でる。その慣れた感触と声に、幸村はようよう布団から顔を半分出した。物心ついた頃から一緒にいるふたつ違いの義兄の気配は、暗がりの中でもはっきりそれと分かる。幸村は口元を布団で隠したまま、頭を撫でる兄を見上げた。

「さすけ」
「どうしたの。そんなにちっちゃくなって」

 幸村は掛布を持ち上げ、枕もとにかがみこんだ義兄を布団に招いた。佐助は、近頃すっかり独り立ちしたように見えていた幸村の甘えるような行動にちょっと首を傾げたが、何も言わずに幸村の布団にもぐりこんだ。中学に入ってからひょろひょろと伸びた背丈で、幸村をすっぽりと抱きこめる。
 幸村は無言で佐助の腕を枕にして、まだ大人のそれとはほど遠いが、幸村よりは広い、薄い胸板にしがみついた。他の何よりも慣れ親しんだ匂いに、少しだけ恐怖が和らいだ。
 佐助の細い長い指がゆっくりと髪を梳く。穏やかな声が下りてくる。

「さみしい?」
 胸板に顔を埋めたまま、ふるふると首を振る。
「こわい?」
 心の底を覗き込もうとするような問いに、答えるかわりにしがみつく腕に力を込めた。幼いころは、佐助があんまり正確に幸村の気持ちを言い当てるものだから、人の心が読めるのだと思っていた。抱きしめ返してもらいながら、もやもやと胸に滞るものを、ぽつりぽつりと漏らす。

「おれは、暑がりだろう」
「そうだね。毎日布団を蹴飛ばしてるものね」
「犬も、飼っておらぬ」
 事情を知らぬ者にしてみれば何の脈絡もない戯言を、佐助は頷きながら聞いていた。それだけで、佐助は何となく義弟の考えていることを察したようだった。

「もし怖い人が来たら、俺が追っ払ってやるから、大丈夫だよ」
「……うん、」

 目にかかる前髪を額に流しながら囁かれる確かな言葉に頷いて、幸村は義兄の薄い胸板に鼻先を押し付けた。抱きしめてくれる腕の強さと温もりに、恐怖はずいぶん和らいできていた。
 思い出したように眠気が襲ってくる。
 気持ちに余裕ができると、脅かされた腹いせにした自分の仕打ちがずいぶん意地の悪いものだったような気がしてきて、半分夢の中にいるような心地で言葉を紡ぐ。

「だてに、むらさきかがみを教えた。けど、はんたいのじゅもん、教えなかった」
「そう」
「わるいことをした……」

 明日教えてやらねば、と口の中で呟いたのにも、そうだね、と言葉が返ってきて、不安が柔く溶け去っていくようだ。 あしたのために、もうおやすみ。 幾度となくあやされた声に安心して、幸村は目を閉じる。
 次に目覚めるときもこの温もりに包まれているのだろうという確かな安堵に抱かれて、何一つ憂いなく、眠った。








そして強がりつつ眠れなくなってる伊達。ちなみに紫鏡と対になるのは白い水晶。