*えろではないですが、接吻あり ご注意
日差しは日ごとに暖かくなり、草木の新芽が萌え出る季節になった。奥州殿の贈り物を頂いてから、じきに一月が経とうとしていた。
その甘味を思い出しては、幸村は頬を緩めた。あのような美味なる菓子にお目にかかれることは、後にも先にもあの一度きりだろう。贔屓にしている店のみたらし団子よりも、餡をたっぷり包んだ饅頭よりも、もっとずっと甘かった。あの味と香りが忘れられない。
そんな舶来の珍しい菓子に見合うものなど幸村には思いつかなかったから、御礼の品は佐助に任せた。何事も如才なくこなす佐助のこと、抜かりなく届けてくれたのだろう。
その、佐助だ。
それを考えた途端頬に熱が上るのを感じ、幸村は口を引き結んだ。
送られた菓子を早々に食べつくしてしまい、もっととせがんだ自分に、佐助は何の躊躇いもなく最後の一欠片を与えた。自分が舐めていたものを、口移しで。それ自体はさした問題ではない。唇を合わせることなど以前から何度もしている。問題は。
(――なぜ、熱が引かぬ!!)
怪我で弱っているときなど、薬湯を流し込んでもらうこともある。あの甘いくちづけとて、それと変わらぬ。変わらぬはずなのに、なぜああも動揺してしまったのか。思い出すだけで上る熱をもてあまし、幸村は両手で頬を押さえた。
きっと、佐助が何か細工をしたに違いない。そうでなければ、訳もなく顔が熱くなったり、全力で走った後のように心の臓が暴れだすはずがない。
もう一度あれを食べてみれば何か分かる気がする。しかし、そればかりは忍びにいくらねだっても叶わなかった。
「あんなもん何度も食べてたら、血が砂糖水になっちまうよ」
そんなわけはない、おれとて限度はわきまえておる、と、いくら幸村が主張しても、珍しい甘味に警戒心がとけぬらしい佐助の心は動かせなかった。自分で手に入れようにも、山に囲まれた甲斐の国では海の向こうは遠すぎる。
佐助は代わりのように頻繁に団子やら饅頭やらを持ってくる。それはそれで嬉しいが、やはりどこか物足りなさを感じるのだった。
何が足りぬかと聞かれれば、異国の甘味だと迷わず答えられる。あの菓子が食べたい。
だが舌も頬もとろけそうな味を思い出すと、なぜだか唇に触れた一瞬の熱まで一緒になってよみがえる。甘味がうまかったのか、佐助がくれたからうまかったのか、ふとそんなことを考えてしまい、一人また赤面した。
佐助にもらった最後のひと欠片が一番甘く感じた、など、気のせいに違いない。
「旦那」
今日も何やら仕入れてきたらしい佐助が、包みを提げて庭先に現れた。その顔を見た途端、それまでの悶々とした気持ちは吹き飛んでしまった。
今日の土産はあんころもち。町はずれの茶屋のもので、旅人の間で評判なのだと、佐助はこころなしか胸を張る。その様子に幸村も相好を崩した。
「茶、淹れてきますから」
「うむ。頼む」
厨に消える佐助を見送って、うきうきと包みを解く。記憶にある西洋の菓子は確かに美味だったが、それよりも今は目の前の甘味だ。待ちきれず、付いていた竹串でさっそくひとつ頬張って、幸村はうっとりと目を細めた。餡の風味ともっちりとした食感がたまらない。
うまい。うまいが――
何か、足りぬ。そう思った瞬間、不意に佐助の顔が浮かんで幸村の胸が強く鳴った。カッと、頬に熱が上る。突然のことに戸惑う幸村をよそに、どくどくと脈打つ鼓動は一向に静まらない。
(何が、)
足りぬというのだ。それよりもこの胸苦しい感じが「あの時」に酷似していて、自分が佐助に何を求めているのかわからなくなる。例の菓子を手に入れてきてほしいのか、また怪我で臥せっているときのように食べさせてもらいたいのか、
本当に甘かったのは、あの欠片だったか、それとも佐助の唇だったのか。
思考がまとまらない。丁度、佐助が急須と湯呑を盆にのせて戻ってくるのに、噛みつくように命じる。
「佐助っ、こっちを向け」
「はいはい、なんで――」
いつも通りにひょいと振り返った佐助の襟ぐりを掴み寄せ、目を合わせる前に口づけた。
盆の上で陶器がぶつかって派手な音をたてたが、いろいろと辛抱が利かないところまで来ていた幸村には関係がない。盆を片手に持ったまま硬直する佐助に気をやることもなく、少し冷たい唇の隙間に恐る恐る舌を挿し入れる。それは、思っていたほど甘くはなかった。
味のない唇を吸いながら、拍子の抜ける思いがした。考えるだけで胸が脈打って苦しいくらいだったのだ。触れようものなら死んでしまうのではないかとさえ思っていたが。
(――容易い)
触れてしまえばなんと言うことはない。うるさいほど鳴っていた心臓は、いつの間にか静まっていた。
「甘く、ないのだな」
唇を離して一人合点したように呟くと、いつも動揺を表さない忍びが珍しく言葉に迷うように唇をわななかせ、がっくりとうなだれる。
甘いのは旦那でしょ、と、ぼやいた顔は、ついぞ見たことがないほど赤かった。
お返しは旦那からのちう的な。
だんなはぐだぐだ悩むより手っ取り早く行動に移してしまいそうだよね、という話。